徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 紅衛兵毛沢東バッジ「首都紅衛兵革命造反展覧会」

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NHKドキュメンタリー「毛沢東の遺産~激論 二極化する中国~」の録画を今日見ていた。
番組では、鄭州市の毛沢東を巡る問題を議論するサロンが取り上げられる。歴史問題、政治も問題を語り合うサロン、その存在自体がスゴイ。北京や上海などにもあるのかもしれないけど。

それにしても、うーむ、歴史認識問題というのは、国際間だけにあるのではないことを改めて認識した。
毛沢東肯定派と否定派。否定派は毛沢東の暴力肯定主義で悲惨な事件が多発したといい、肯定派はそんなのはウソだという。むしろ、大衆が政治に参加し、官僚や政治家を堂々と批判できたという。否定派は、当時の政治参加の実体は自由など何もなく、今の方が遙かにマシだという。

外国人の私からすれば、否定派の意見の方が合理的に見えるのだが、肯定派の心情は現代社会へのどうしようもない不満から発しており、文革時代への郷愁につながっているのである。貧困層は、どうしてもそこに惹きつけられる。こういう人たちに、いくら客観的データをもって当時の真の姿を示して、文革の悲惨さに気づかせようとしても、まずムリだろう。毛沢東の時代はこうではなかった、あの頃の理想はどこへいったのだ、と彼らは考えている。それを、無知による誤解だと、外国人ごときが言う資格があるだろうかと、私は躊躇を覚える。

いや、現状に不満なのは、毛沢東肯定派も否定派も同じなのだ。それを解決するために、執るべき手段が毛沢東時代の政治手法なのか欧米型の民主化なのか、という考え方の違いなのだ。
そのため、双方ともそろって政府の路線には極めて批判的である。
民主化すればしたで、しなければしないで中国の政治は今後も揉めに揉めるしかない。その間にも、経済格差は拡大し、民族運動は激化し、環境問題は悪化していくであろう。日本を含める外国との軋轢も増すかもしれない。しかし、考え方は違えど、社会をこれだけ憂え、熱い議論を交わす市井の人たちの姿には、なぜかほんのかすかな光明を見た気もした。

というわけで、今日は紅衛兵運動華やかなりし頃の毛沢東バッジ。「首都紅衛兵革命造反展覧会」の記念バッジである。1967年6月に北京で開催された展覧会の記念品である。紅衛兵運動の成果や毛沢東をたたえる大規模な展示が行われた。この展覧会のパンフレットを持っているのだが、会場がどこだったのかいまだによくわからない。写真や会場図から、北京の軍事革命博物館のように見えるのだが、ちょっと自信がないままである。ご存じの方、ぜひ教えてください。
バッジには、男女の紅衛兵が勇ましく前進する様子が浮き彫りにされている。たなびく紅衛兵旗に毛沢東像。小さいバッジだが、生き生きとした勇ましい造形、戦闘的雰囲気がよく出ていて、毛沢東バッジの中でも名品と思っている。

激しさを極めた紅衛兵運動は、この後1年あまりで、他ならぬ毛沢東の手によって、実質終了させられることになる。下放運動が始まり、若き革命小将たちは全国の僻地に散り散りになっていった。

「歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている」とは誰の言葉だったか。いや、似ているんじゃなくて、恨みそのものじゃないかと。てことは、歴史がこもった小さなバッジたちも、恨みの結晶物なのかもな。