徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 大学野球早慶戦「天覧」試合記念メダル(1929)

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私はバッジやメダルのコレクターだが、何でもいいかというとそういうワケじゃなく、今のところあまりスポーツ関係には関心を持っていない。スポーツ関係バッジ・メダルは非常に多いのだが・・・
が、スポーツモノの中にもなかなか名品があるので、そういうモノはもちろん例外である。

かつて野球は大衆娯楽の王様で、なかでも大学野球の人気が非常に高かった時代があった。今では高校野球ほどにも話題に上らないのだが。
中でも、早慶戦の人気は高く、伝統の一戦となっていた。

今から81年前。1929年11月に行われた早慶戦は、天皇の臨席に下に行われた。いわゆる「天覧試合」である。これが日本の野球史上初めての天覧試合となった(だったと思う)。
試合結果は12対0で、慶応大学の完勝に終わる。

このメダルは、その時の記念品であるらしい。
中央のボールが非常に高く盛り上がっていて、かなり立体感のある一品。青い七宝と銀地に金メッキ色がよく映えて大変美しく、目を惹かれた。しかも、中央には堂々と「天覧」の2字。思わず手にとってしまったのも当然だろう。
表の文字は、「KEIO V.S. WASEDA BASEBALL GAME NOV.1ST 1929」と読める。
さらに裏面には「KEIO WIN 12Ato0」とある。

このメダルの所有者名も残されている。裏面に、「I.MORITA」という字が刻まれていて、この人物に贈られたものらしい。
もしかしたら誰か分かるかな、と試みにあれこれインターネットで検索してみたところ、この人物が判明した。
I.MORITAとは、森田勇という人らしい

この人、名ピッチャーであったらしく、1925年、京都の東山中学時代、大会史上最高の一試合19奪三振という大記録を残している。今に至るも、これを超える記録は出ていない。野球というのは、一試合で1チーム27アウトしかないのだから、27アウト中の19アウトを三振で取ってしまったわけだ。確かにこれはスゴイ。
1926年に慶応大学に入学しているが、ピッチャーとしての実績を買われてのことだろう。
この経歴からして、1929年の時点では森田勇は慶応大学野球部に在籍していたはずである。このメダルの所有者として特定してよさそうである。
彼がこの当日試合に出たかどうか、天覧試合でどのようなプレイを見せたかは調べれば分かると思うが、今のところ資料がなく不明。

さらに、1937~1945年には慶応大学野球部の監督を務めている。ということは、1943年に行われた出陣学徒壮行早慶戦(いわゆる最後の早慶戦)の時の慶応監督であったということか。

偶然見つけたメダルだったが、ただきれいなだけでなく、興味深い一品であった。