8月28日金曜日、予告されていた首相記者会見に先立って、驚きのニュースが飛び込んできた。安倍首相が辞任するという。健康問題が原因とのことだった。
これには驚いた。これまで菅官房長官をはじめ、首相の健康には大きな問題はなく、今後も課題に取り組んでいくという旨の情報発信をしていたからだ。そのため、まあどうせ健康不安説を払しょくするための会見になるだろうと私も軽く考えていたのだ。実際には個人的な健康問題より、新型コロナウイルスが政権にとどめを刺したように思えてならないのだが。
このブログでも辞任発表を受けて、安倍首相関連の記事でも記録しておこう。
折しも、平成18年から翌19年の第1次安倍内閣と、平成24年12月から現在まで至る第2次安倍内閣で、安倍首相の首相在位記録は歴代最長を記録したばかり。
題して「さらば安倍首相。安倍首相とバッジを振り返る」。
首相官邸の公式サイトには、「首相の一日」というコーナーがあり、写真で首相の活動が紹介されているので、いつどんなバッジをつけているのか参考になる。
改めて、首相の仕事というのも実にまあ多様ぶりがうかがえる。海外要人との面談、各界代表者による表敬、国会対応、各種会議への出席、海外来訪、地方視察・・・代表者というのも楽なものではない。
安倍首相といえば、北朝鮮拉致被害者救出の取り組みを足掛かりに首相まで上り詰めた人物と評価が定着している。そのため、彼の胸元には、衆議院議員記章とともに、常にブルーリボンバッジがつけられている。
それは辞任発表の会見時も同様であった。
バッジを拡大してみよう。
このブルーリボンバッジ、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」で配布されているバッジのようである。
安倍首相以外にもブルーリボンバッジをつけている政治家は多いが、概ねこのように議員記章の斜め下に付けるのが一般的のようだ(といって別にレギュレーションがあるわけでないなさそうだが)。
3つのバッジをつける場合(例えば、議員記章+ブルーリボンバッジ+東京オリンピック招致バッジ等)、いくつかのパターンが見られる。
議員記章の下に、向かって左にブルーリボンバッジ、右にオリンピック招致バッジ。
こちらは、議員記章の下に、向かって左にオリンピック招致バッジ、右にブルーリボンバッジ。
どちらかといえば、ブルーリボンバッジが左側になっている例が多いようだが、一定していない。別に決めているわけではなさそうだ。
さらに左右の襟につけ分ける場合も。オリンピック招致バッジが右襟に見える。
こちらは3つのバッジが左襟に縦に一列に並んでいる。こういうつけ方は珍しい。
トランプ米大統領が来日した時の写真。小さくてちょっと分かりにくいが、右襟にはオレンジリボンバッジ(児童虐待防止運動)が見える。11月は児童虐待防止推進月間なので、この時もつけていたのであろう。
さて、ところで彼が首相としてずっとブルーリボンバッジをつけ続けてきたわけではない。
これは平成18年、初めての首相就任時の記者会見写真。第1次安倍内閣時代(平成18年9月~平成19年8月)は、ブルーリボンバッジをつけている写真は首相官邸のHPでは見当たらない。
一方、平成24年12月26日、首相に返り咲きを果たした彼の左襟にはブルーリボンバッジが。現在に至るまで彼はこのバッジをつけ続けている(礼服時など、例外的につけていない写真もないわけではないがごく少ない)。
これは安倍首相の政治姿勢の問題ではなく、第1次安倍内閣時にはまだブルーリボンバッジが拉致被害者救出のシンボルとして一般的に使われるようになっていなかったためで、単にタイミングの問題とみるべきだろう。
ところで、バッジには、その人がある組織に属することを示す「メンバーシップ機能」、資格等を示す「権能表示機能」、単なる飾りに近い「ファッション機能」、そして主義主張を示す「意思表示機能」などがある。
ブルーリボンバッジは、拉致被害者救済という意思表明のためのものであり、したがって誰でも自由に入手し利用できる。使用を中止するのもまた本人の意思次第。
意思表示のバッジは、つけ始めるのは簡単だが、つけるのをやめるのは時として非常に難しい。拉致問題の解決は近づくどころか遠のく一方という現状で、安倍首相はブルーリボンバッジを最終的解決の日までつけ続けるのだろうか。