徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

東京オリンピック 「自転車の中国選手、表彰式で故毛沢東主席のバッジ」報道

性懲りもなく、東京オリンピックネタです。

 

ネットニュースを見てたら、なんともギョッとするタイトルを見つけてしまった。

自転車の中国選手、表彰式で故毛沢東主席のバッジ」。

え、東京オリンピック毛沢東バッジ登場??

 

news.yahoo.co.jp

[東京 2日 ロイター] - 東京五輪では2日、自転車・トラック女子チームスプリントで優勝した中国選手の2人が、故毛沢東主席のバッジをつけて表彰式に登場した。

中国は伊豆ベロドロームで行われた決勝で連覇を達成。しかし表彰式での今回の行動は政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁じる五輪憲章第50条の違反ととらえられる可能性がある。

 

まあ本人たちがどういうつもりだったか知る由もないが、2人とも20代の青年である。経済成長による豊かさを享受してきた世代が、ハッキリ言って、本気で毛沢東を崇拝しているとは信じられない。この辺、相当割り引いて考える必要があると思っている。

大体、中国共産党自体、毛沢東を(表面上は)敬いはしても、毛沢東思想を実践しようとなど全く考えていない。ああ、今の中国を毛沢東が見たらなんというだろうか。

もし共産主義毛沢東思想を国家運営の中核とすべしと本気で政治主張する中国人がいたら、今の中国共産党当局から逆に政治的危険分子としてマークされかねまい。その主張は、現政権への批判そのものだからだ。

オリンピックといえば、アスリートが国旗を背負って戦う国威発揚の場でもある。アスリート自身も大なり小なり国旗を背負って戦うことを誇りと思っているのだ。

中国へ行けば、若い人でもまれに胸に毛沢東バッジをつけている人を見かけることがある。が、だからと言って彼らが毛沢東を心から敬愛しているわけではないのである。最近の若い人で、あの貧しくおぞましくも恐ろしい文化大革命時代に戻るべきだと考えている人はまず皆無であろう。

 

アスリートが表彰式の場において毛沢東バッジをつけるというのは、まあちょっとした中国のシンボル的なアイテムとしてつけてみただけに過ぎないだろう。そこには多少、政治的な、民族的な、党性的なにおいを帯びようとした意図が、全然ないこともないとは思うけど。

別の報道では、IOCが調査するということだそうだが、よく見なければ気が付かない小さなバッジをつけていただけで、あんまり大した問題じゃないのではないかと思う。赤い毛語録を掲げて自転車トラックをウイニングランしたわけでもなかろうにと(ここまでやったらオリンピック憲章的には「政治的宣伝活動」としてアウトになる可能性が高いと思われる)。

 

さて、表彰式でつけられていたバッジとは、一応どんなバッジであったか。

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自転車の中国選手がつけていた毛バッジ写真

あのー、ほんっとにどうでもいいことだが、私、このバッジ見た瞬間に「あちゃー」という気分になった。

よく土産物などで売ってる最近の安手の毛バッジだよねこれ。好きじゃないんだよなあ。

なんというか、ぜんっぜん、バッジに対する「こだわり」ってものを感じないのだ。

どうせつけるなら「当時製のもっといいもの」を何で選ばないのか・・・と私などは逆にいらついてしまう。こんな安直な安物を選ぶなよと(まあコレクターなんで・・・)。

でもそんなこと、バッジをつけていた当人たちは全く、こだわってもいなければ、多分考えてもいない。

 

だから今回の「事件」がどう転ぶかはわからないけれど、しょせんはしょうもない話という気がしてならない。当の本人たちも騒ぎになるとは全然思ってなかったんじゃないか。このことが海外のマスコミに取り上げられたことを知ったら、一般の中国人もなにを大げさにと、きっと意外に思うことだろう。

一方、国外に住む中国籍の人にとっては、「だからそんな場所で毛沢東バッジなんてつけるべきじゃないんだって。わかってないなあ・・・」とため息をついているかもしれないけれど。