これなんのバッジが入っているんだっけ?・・・と小さな桐箱を開けてみたら、昔買ったバッジが出てきた。なつかしい。七宝が美しいバッジだ。
関係ないけどバッジを入れるケースとして桐箱を使うのは日本独自のやり方である。
日英の国旗があることから、一見して国際交流記念のバッジとはわかる。
裏面には「英皇儲御来邦記念 宮内省新聞班」の文字がある。「皇儲(こうちょ)」という語を念のため説明すると、この場合要するに「皇太子」のことである。
今からちょうど100年前の1922年(大正11年)4月、イギリス皇太子のちのエドワード8世が来日した。当時の日本皇太子(のちの昭和天皇)のイギリス訪問の答礼であった。
おお、あのエドワード8世!
エドワード8世はある意味イギリス王室に大きく名を刻んだ人物である。1936年に即位するも、アメリカ人女性と結婚するため1年もたたずに退位を決意、弟(のちのジョージ6世)に王位に投げ出してしまう。自分が即位することになるとはまったく想像もしていなかったジョージ6世は、のちにイギリスの存亡をかけてナチスドイツとの戦いに直面することになる。
とにかくこの人、よく言えば自分に正直でたぶん悪い人じゃない気もするが自分の立場をあまり気にせず行動して周りに迷惑をかけるタイプの人であったと思う。退位後もナチスドイツと親密な関係を見せるなど、イギリス政府にとっても王室にとってもこの人の存在は頭痛の種でしかなかったろう。
まあ100年後の現代日本ですら皇室の結婚問題はデリケートな問題なのだから、当時はどれほどのスキャンダルだったのかと思う。
さて、バッジは、日英の国旗、菊花に万年筆と筆が交差したデザインである。国旗と菊花はともかく、なんで筆とペンなのか・・・とちょっと不思議に思っていたが、ヒントはおそらく裏面の文字だ。
「宮内省新聞班」。そう、これは単なる記念バッジではなく、宮内省のメディア担当者のバッジではないかと思い当たった。一種の記者用バッジだ。
そしておそらく上側の国旗に対応して、筆(日本)とペン(イギリス)なのではないかと想像する。
100年前の日本では、このような用途のためにこんな精緻なバッジをいちいち作っていたのだ。つくづくこの100年で完全に衰退しきった日本の徽章文化に、嘆息せざるを得ない。