オウム真理教による1995年の地下鉄サリン事件の発生から今日は30年目ということで、ニュースでは当時の映像が流れた。
教団の拠点があった山梨県上九一色村で、教団施設の「サティアン」に、1995年3月の事件直後には、警察や機動隊が強制捜査のために大量になだれ込んでいく映像は、いったい何度見たことか。
厳密にいえば、サティアンは12あり、うち2つが富士宮市、残りの10が上九一色村にあったのである。上九一色村では、毒ガスのサリン製造のほか、炭疽菌などの生物兵器などの兵器武器類の開発も行われていた。
富士山を望むこの周囲には、いわゆるパワースポットというのか、オウム真理教に限らず諸々の宗教団体の施設があるという。
事件を受けて、上九一色村は一気に全国的に有名になった。オウム真理教施設の施設進出に対して、村が乗っ取られるという危機感を覚えた村民たちは反対運動を展開した。それが、日本史に残るテロ事件を起こして、そんな形で名が全国に有名になってしまったのである。連日上九一色村の映像がオウム真理教拠点として報道され続けた。村民としてはたまったものではなかったろう。
事件から11年後、2006年上九一色村は、甲府市、富士河口湖町に分割・合併された。こうして上九一色村の名前は消滅したのである。それでもいまだに上九一色村と聞けば、オウム真理教のイメージが強い。
画像のバッジは、上九一色村の功労章である。
中央に功の字、その後ろは上九一色村の村章である。よく見ると「上」と「九」の文字をデザイン化したものである。裏面に「上九一色村功労章」と刻印がある。
事件から30年の日にあたり、このバッジを紹介しておく。