徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

アルバニア スカンデルベグバッジ

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ライブドア事件の騒動はまだ続く・・・しかし、経済事件というより、これじゃまるでワイドショーネタだね。いずれにせよあんまり美しい話じゃないなあ。

じゃあ、アルバニアの話を続けよう(笑)。
アルバニア国旗は、けっこういいと思う。デザインだけじゃなく、その歴史も含めてだ。
濃い赤地に黒い双頭の鷲。戦前王政時代は、その上に王冠が、共産主義時代は黄色の五角星が描かれていた。今は、五角星が取られたので、双頭の鷲だけとなった。ちょっと間の抜けた感じになってしまったように感じる。

この鷲、俗に「スカンデルベグの鷲」と言われる。スカンデルベグは、アルバニア民族の英雄の名だ。15世紀、オスマン・トルコの侵略に対してスカンデルベグは24年間も抵抗を続け、これを退ける。スカンデルベグが1468年に亡くなったあと、内紛も重なってトルコに支配されることとなった。
アルバニア人は、古来鷲の子孫だという言い伝えがあるらしい。そこで、スカンデルベグが旗に用いて、民族の抵抗のシンボルとなった。
なんで双頭の鷲なのかというと、アジアとヨーロッパの両方を向いているからなのだともいう。

このバッジは、スカンデルベグ(アルバニアではスカンデルベウに近い発音する由)死去200周年らしい。「1468-1968」とある。兜を被ったスカンデルベグ肖像の後ろには、双頭の鷲が描かれている。
うーん、1968年かぁ・・・バリバリのホッジャ体制時代だ。文革中国との蜜月時代でもある。敵の敵は味方

この時代でも、スカンデルベグは民族英雄であったことに注意すべきだろう。
スカンデルベグは、超大国トルコの侵略に、弱小の自国を守るために戦った。共産主義時代も、同じ抵抗のシンボルを掲げ続けたのは興味深いことである。

大戦中はナチスドイツ・ファシストイタリアと戦い、戦後はアメリカ、ソ連、諸々の隣国と対立し続けたアルバニア。スカンデルベグの抵抗主義は、心の拠り所であったかもしれない。