徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

ネパール 国王バッジ

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特に最近、ネパールの政治情勢が荒れている。直接統治を行う国王側と、それに反対する反国王派の対立が激化。国王側は、下院議会の復活、新首相の任命と譲歩を行った。もっとも、それで争乱が収まるかというと、そうは思えないのだけど。

ネパール共産党毛沢東主義派が、君主制反対をスローガンに過激な武力行動を展開しているのはいつものことだが、国王に否定的な世論を受けて、毛派が勢いづいているという構造だ。テレビでデモの様子を見たが、中央に鎚鎌を白く染め抜いた赤旗を掲げる群衆がうつっていた。あれがネパール共産党の党旗なのかなあと思いながら見ていたものだ。

しかし、この「毛沢東主義派」という名前に困惑しているのが、本家の中国共産党だという点がなんだか可笑しい。今も毛沢東は、建国の父にして中国のシンボルである。天安門広場には毛主席記念堂がたち、天安門広場を見下ろすのは巨大な毛沢東肖像画。お札にも描かれている。中南海の入り口には、今もデカデカと「必勝無敗の毛沢東思想万歳」と書かれている。
毛沢東思想と偶像としての毛沢東を切り離してきたのが改革開放後の流れであったわけで、それを知りつつ敢えて誰も指摘しない、というのが中国の暗黙の了解であった。そんなヤボなこと、言いっこなし・・・。
君主制打倒を掲げて戦うネパール毛派は、その主張が毛沢東思想に忠実なだけに、その話にはあんまり触れて欲しくない、というのが中国共産党の本音ではないか。むしろ、毛沢東思想のカケラすら残していない今の中国共産党より、ネパール毛派のほうが毛沢東の名前を掲げるにふさわしいかもしれない。

以上は大きな余談。以下は小さな余談(笑)。

さて、ネパールといえば、私にはささやかな思い出がある。それも、私が幼稚園にいた頃のことだから相当古い。70年代の頃の話である。
私が当時通っていた都内某幼稚園の同じクラスにいた女の子が、ネパールから帰ってきた。なんとなく、ハイソサエティな雰囲気の家の子だった印象が残っている。
記憶が定かではないのだが、単身赴任でネパールに行った父に、お母さんと彼女がふたりで会いに行っていたのだと思う。
私が母と彼女のうちに遊びに行ったとき、彼女からネパールみやげとしてもらったのが、ネパール国王バッジだった(笑)。

今も「ネパール」と聞くと、名前も顔も忘れたけど、あの女の子のことを思い出す。幸せに暮らしているかなあ・・・。

ところが驚きである。
長らく行方不明だったそのバッジが、つい先日部屋の掃除をしていたら出てきたのだ! 私の幼少期の宝物箱(クッキー缶)から。
なんだか映画「アメリ」のワンシーンを思い出したなあ。

というわけで、そのバッジを紹介する。
おそらく、ビレンドラ国王(即位1972~2001)と王妃だと思う。何が書いてあるかは、一文字たりとも読めないので不明。

それにしても懐かしい・・・。