徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 紅小兵の写真 ~1969年の記念撮影~

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私はバッジ収集家なので、たくさんいろんなバッジを持っている。古いモノや新しいモノ、稀少なモノやありふれたモノ。
しかし、どんな逸品名品美品であろうと、それらはすべては「死んだ」モノたちに過ぎない。抜け殻なのである。

これらのモノを作せた依頼者は必要から作らせたのだし、職人はその依頼主の要望に応えるために腕をふるったのである。当たり前だが、始めからコレクターのケースに収まることを目的に生み出されてきたのではない。
だから、流れ流れて私の手元にたどり着いたときは、すでにその生命は終わっているわけだ。まあそれでも時代の余熱みたいなものに私は感じ入ったりするわけだが・・・。
あ、別なところにも書いたな、この話。

手元に小さな写真帳があって、北京のノミの市で買ったものだ。おそらく撮影場所は天津あたりと思われる。60年代末から70年代前半の、子供たちの写った写真帳である。
写真には、「1969.6.13」と撮影年月日が入っている。

さて、当時の中国は、もちろん文化大革命の真っ最中である。毛主席語録を胸に抱いた女の子たちは、いかにも当時のおなじみのスタイルだ。ちなみに、毛語録の持ち方は、このように抱えるように持つのが正しいようで、横から本を掴むように持つことはあまり見ない気がする。

髪型は皆お下げか三つ編み。解放軍の軍服みたいな服を着て、左腕の上腕部に見える菱形の腕章は紅衛兵の小学生版、「紅小兵」のものだ。みんな白いシャツの襟を上着の上に出しているが、当時のスタイルなんだろう。

胸には、いろんなタイプの毛沢東バッジが見える。バッジと一緒に紅小兵の胸章をつけた子もいる。
1969年は、中国共産党第9回党大会が開催され、文化大革命の勝利宣言が行われた年でもある。この頃が毛沢東バッジの最盛期で、バッジの大型化複雑化は頂点を極め、この奇妙な政治的シンボルグッズはこのあと急速に終焉を迎えることになる。

私のところにも、毛沢東バッジはたくさんたくさんある。
だが、この子たちの胸に光る毛沢東バッジこそ、生きているバッジの姿である。このために、毛バッジは作られたのだから。彼女たちの胸にこそ、バッジは存在意義があったのだ。

時代は下って、毛沢東バッジは人気コレクションになったけど、その熱心なコレクターは、この写真の子供たちの世代にも多い。毛沢東革命の後継者たる彼女たちは、今や資本主義中国を動かす世代でもある。皮肉といえば皮肉だが、だからこそ、あの時代へのノスタルジーはいっそう強いのかもしれない。