徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

チェチェン ドゥダエフ大統領バッジ

イメージ 1

コソボ自治区セルビアから独立することを宣言してからもうすぐ1か月になるが、なんだかますます混迷を深めている気がする。コソボセルビアの問題に留まらず、EU対ロシアの対立関係がかなり露骨になりつつある。
この問題、本当に平和的に解決することなんてできるのかなあ・・・とつい悲観的な気分になってしまう。

コソボ問題を聞いていて、私がどうしても連想してしまうのが、チェチェン紛争のことだ。ソ連崩壊後、1994年に連邦からの独立を宣言したチェチェン共和国に対し、ロシアのエリツィン大統領(当時)は大規模な軍事介入を行った。

この時、独立を宣言したのがこのバッジの人物、ジョハル・ドゥダエフ大統領であった。元はソ連空軍の高級軍人である。
顔は覚えていないが、あの頃彼の名前はよくニュースで見かけたものだ。
圧倒的兵力でなだれ込むロシア連邦軍に対して、ドゥダエフ率いるチェチェン軍はゲリラ戦を展開し、ロシア軍もおびただしい被害を強いられたのだった。
兵力の差はいかんともしがたく、95年にはチェチェン共和国首都グロズヌイが陥落。それでも山岳地帯での抵抗は続く。96年、ロシア軍のミサイル攻撃により、ドゥダエフ大統領は戦死。それでもチェチェン軍はグロズヌイを奪還するなど激しい戦意を見せた。

ロシア側にしてみれば、チェチェン武装組織は最悪のテロ組織だろうが、そもそもの経緯を見れば、どちらが被害者なのか、という気分にもなるのであった。

バッジは、軍服を着たドゥダエフ大統領の肖像。カンバッジ式のツクリ。背景の緑と白は、チェチェン共和国の旗か。緑色はイスラム教の聖なる色であり、イスラム圏では最もポピュラーなナショナルカラーとなっている。
このバッジがどこでいつ作られたかはまったく不明だが、彼の行動や壮絶な死は、民族の英雄視されるに十分な条件を備えている。こんなバッジが作られるのもそのせいだろう。

プーチン体制=大ロシア主義が当分揺るぎそうもない現在、チェチェン問題の解決は、まだまだ先になりそうである。残念ながら。