徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

アンゴラ MPLA(アンゴラ解放戦線)・ネト大統領バッジ

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TICAD(アフリカ開発会議が、5月28日から3日間、横浜パシフィコで開催された。アフリカから52カ国が参加するという大規模な国際会議だった。
私もこのニュースは割と関心を持っていたのだが、去年の夏参加したエスペラント国際大会の会場がテレビに映っていて、あーここだここだ、と見入っていた。

会場にずらりとアフリカ諸国の国旗が並ぶ様はちょっと壮観で、アフリカでは、「黒」を国旗に用いている国が多い。そのため、独特の雰囲気が漂うのであった。

特に、私の目にとまったのがアンゴラ国旗で、赤と黒の旗に、星、歯車、マシェット(鉈)が描かれている、いかにもアフリカの社会主義的雰囲気の、印象的な旗である。

さて、この会議では、日本をアピールするチャンスとばかり、わが福田総理も来日した40カ国の首脳と分刻みの会談を次から次へとこなしたのだが、もちろんその中にはアンゴラドスサントス大統領も含まれているのであった。報道によると、5月29日午前11時50分から12時11分まで会談したとのこと。
もっとも、福田首相はこの日、会議と会議との合間に十数人もの大統領や首相と次から次へと会談をこなしており、誰がどの国のなんだったか、果たして記憶に残ったであろうか。激務だなあ。

アンゴラという国は、本当に大変な国で、ポルトガルとの独立戦争に勝利して、建国したのが1975年。だが、その後は内戦に次ぐ内戦に明け暮れることになる。もっとも、アフリカには似たような国がいっぱいあって、アンゴラだけの悲劇じゃないんだが・・・。

今日のバッジは、初代大統領アゴスティーニョ・ネト。MPLA(アンゴラ解放戦線)というのは、ソ連などから支援を受けてネトが率いる組織で、アメリカなどが支援するUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)などと戦った。
米ソ代理戦争を地でいくような戦いで、和平協定を挟みつつも内戦はひたすら長期化し、ようやく終わったのが2002年というから、国の歴史がそのまま内戦の歴史のような国なのであった。

それにしても変わったタイプのバッジである。比較的新しいバッジに見えるが、製作時期は不明。
ビニール地にプリントし、中にはスポンジでも入っているのか柔らかくふくらんでいる。周囲は熱でビニールが溶着されていて、裏面の安全ピンも熱で留められている。
いかにも大量生産ができそうなバッジだ。

ネトは、独立からわずか4年後の1979年モスクワで死去している。
このバッジは新しいモノで、つまりネト死去からだいぶ立って作られたモノだと思うが、この人のように建国などの大事業を成し遂げたら人間さっさと死んだ方が後世の評価は高いんじゃないかと思うことがおおい。

ところで、横浜で福田総理が会談したドスサントス大統領だが、この人がどういう人かネットで調べていたら驚いた。
なんと初代大統領ネトが死んだあと、次期大統領になったのがこのドスサントスなのであった。ということはオイオイ、ネトが死んだのが1979年だから、30年近くも大統領職に就いているわけか。は~。
これまた、ネトとはずいぶん対照的である。

以前、ものすごく印象的なネトのメダルを紹介したことがあるが、そちらもご参考に。
アンゴラ アゴスティーニョ・ネト メダル