チトーは、米ソ冷戦時代にあって、非同盟諸国運動をリードするなど国際的にも影響力を持った。ソ連式社会主義への幻滅を感じる人たちにとって、ある種の希望にも感じられたのである。彼が目指した多民族国家も民族主義の台頭とそれによって起こった内戦によって、たちまち瓦解してしまった。逆にいえば、いかに彼の力が強かったかということでもある。
ユーゴの終身大統領にもなったチトーのバッジは、実際にかなり数多く作られている。だから、チトーバッジ自体は決して珍しくも何ともないのだが、画像のバッジは、どうも明らかに他のチトーバッジとはツクリが違う。
そう、北朝鮮の金日成バッジそっくりなのである。材質といい、製法といい、デザインといい、全くソックリだ。
北朝鮮とユーゴスラビアと親密な時代もあったとはいえ、直接は経済的にも政治的にも、東欧バルカン半島と極東の朝鮮半島では関係は薄い。なぜユーゴのバッジが北朝鮮で作られたのか不思議である。
北朝鮮とユーゴスラビアと親密な時代もあったとはいえ、直接は経済的にも政治的にも、東欧バルカン半島と極東の朝鮮半島では関係は薄い。なぜユーゴのバッジが北朝鮮で作られたのか不思議である。
ところで、以前赤道ギニアのフランシスコ・マシアス・ンゲマ大統領や、正体不明のアフリカ人らしき肖像が描かれたバッジを紹介したことがあった。いずれも北朝鮮製は間違いなさそうだ。
しかし、ヨーロッパでそれらしいバッジがあるのは、私の知る限りこのユーゴスラビアだけだ。それが何となく不思議なのである。
しかし、ヨーロッパでそれらしいバッジがあるのは、私の知る限りこのユーゴスラビアだけだ。それが何となく不思議なのである。
アフリカ諸国はともかく、ユーゴスラビアは徽章文化が古くから盛んな国で、数多くのバッジ、メダル、勲章を産出してきた。だからチトーバッジもたくさん存在している。
北朝鮮に製造委託したのか、機械材料を導入して自国で作ったのか、いずれにせよその必要性がどうしてあったのかが不思議だ。
バッジの肖像を見ると、晩年の姿のようである。ということは、70年代後半以降の作ということ考えてよいだろう。なお、このバッジの入手先はボスニア・ヘルツェゴビナである。
北朝鮮に製造委託したのか、機械材料を導入して自国で作ったのか、いずれにせよその必要性がどうしてあったのかが不思議だ。
バッジの肖像を見ると、晩年の姿のようである。ということは、70年代後半以降の作ということ考えてよいだろう。なお、このバッジの入手先はボスニア・ヘルツェゴビナである。
まあ、考えても答えが出るものでもないけれど。