徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

トルコ ケマル・アタチュルクバッジ

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「トルコってのは、とにかくどこに行ってもアタチュルク、アタチュルクでね」
とはトルコ旅行に行ってきた友人の感想。確かに、地名、お札、銅像など多くのモニュメント。トルコには今もアタチュルクがあふれている。

まあ彼が現代トルコの基本路線を決めた人物で、こういう大胆な改革には個人崇拝でも利用しないとできないことなのかも知れないと思う。
第一次大戦で活躍し、その後の連合国支配では抵抗運動の指導者となった軍人。初代トルコ共和国の大統領に就任する。政教分離も欧化政策も文字改革も、「アタチュルク主義」である。

ところで最近、トルコでは、この国の基本的なあり方を巡って大きな論争となっている。第一次世界大戦で敗北したトルコは、近代的な国づくりを急速に推しすすめたが、政教分離はその最も重要な柱のひとつである。

一方、近年はトルコではイスラム教の台頭が著しく、イスラム主義的色彩の強い公正発展党(AKP)が昨年の選挙で圧勝、政権与党となった。これに対して世俗主義派(政教分離派)は、AKPは政教分離の国是を犯していると大きく反発、憲法裁判所で争われたところである。結局、解党命令は退けられ、政党助成金の減額に落ち着いたようである。

とにかく、トルコでは爆弾テロが発生するなど政情不安定の様相を呈しており、一度イスタンブールには行ってみたいよねえ、とかのんきに思っている私にしては、最近のトルコはちょっとイヤな雰囲気。
政党選挙による民意か、憲法の規定か、どちらが優先するか難しいところである。わが国の憲法9条問題にもどこか似ている・・・ような気がする。
トルコにしろ、日本にしろ、あと中国にしてもそうだと思うけど、西洋文明と自国の文化をどう折り合いをつけるか、その懊悩は、アジアのどこにでも共通するようで興味深い。

というわけで、今日はちょっと珍しいトルコのバッジを紹介しよう。ケマル・アタチュルク、とにかく現代トルコの歴史はなしには語れない、この人のバッジだ。
トルコを象徴する星と三日月(このシンボルはあからさまにイスラム色が強いと思うのだが)と、アタチュルク肖像。晩年の顔のようだが、うーん、このバッジのアタチュルクは、どうも悪人的な面ガマエすぎるんじゃないかと・・・。実際にはもっとあっさりした顔つきの人である。
裏面にはISTANBULの刻印が見える。

そういえば、政教分離の堅持を訴える街頭デモでも、参加者の手にはアタチュルク肖像が掲げられていたなあ。このバッジは50年代頃のものじゃないかと思っているが、論争の焦点は、今も昔もアタチュルク主義、なのであった。