徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 陶製バッジ ~農商功績章~

イメージ 1

バッジといえば、ほぼすべてといっていいほど、金属製と相場は決まっている。
キラキラと光り、ズッシリと重い金属特有の非生物性質は、その実用性を離れて、我々人類に「アリガタミ」を感じさせるのだ・・・と私はずっと考えている。人類は、本質的に「メタルマニア」なのだ・・・とこれは前にも書いたことがあったな。

貨幣も同様で、古代から素材には金属が用いられている。だが、ずっと時代がくだること幾千年。
昭和の日本では、戦争による物資不足から、涙ぐましい試行錯誤を経て、陶製の貨幣が製作された。昭和19年のことである。
貨幣を造る造幣局では陶製の貨幣を製作する施設がなく、京都、瀬戸、有田に造幣局出張所を設け、民間の陶器工場で10銭・5銭・1銭の3種類の陶貨を作成した(日本貨幣商協同組合通信より抜粋)。
瀬戸で1300万枚、京都で200万枚製造作ったところで敗戦を迎え、結局は流通せずじまいとなった。
すべてがムダ、いっそすがすがしいほどの徒労であった。

徽章業界でも、物資不足はいかんともしがたく、戦争末期の徽章類は見るからにチープなモノが少なくない。今日紹介する陶製バッジも、そんな環境で生まれたと思われる。

画像のバッジは、直径約45mmとなかなか大きさこそリッパだが、手にとってみると、軽い
表の中央に「功」の字が見え、裏をひっくり返してみると「農商功績章」「農商大臣」の文字が刻まれている。ピンはさすがに金属製である。
意匠は、中央に稲穂、周りは波と山であろうか。農林水産を表したデザインのように見える。

農商省とは、軍需省の創設に伴って昭和18年に設置され、昭和20年まであった機関である。今でいえば農林水産省経済産業省の合わさったような機関である。
このバッジが作られた時期はまさに戦争末期に、当時の状況が、このようなバッジを作ったのである。

どんな人がもらえたのか不明だが、おそらく農業や商工業に貢献した人の表彰として贈られたのだろうと字面から判断するばかりだが、苦しい台所事情が透けて見え、なんとも切ない功績章である。
正直、私も一見したときはバッジと思わなかったほどだ。
青みがかった灰色の土と、中央の白い土の2色で飾られているおかげで、かろうじてそれらしく装っているように見える。これが白一色や灰色一色の焼き物じゃ、さすがにちょっと救いようがないのではないかと思うからだ。

戦争末期、表彰としてこの功績章を受け取った滅私奉公的な産業戦士は、この切ない出来栄えのバッジを見て、果たしていかなる感想をもったか。今となっては知るよしもないのであった。