明治時代の半ばは日本に徽章文化が大衆化し始めた時代であったので、この頃のバッジ類は製法や形式が非常にバリエーションに富んでいる。
このメダルは、要は日清戦争勝利記念章だが、素材が柔らかい金属で、おそらく錫か何かではないかと思う。爪で押すと傷がつきそうだ。
小さなリボンは(現代の感覚では)妙に厚みがあり、この時代らしいできである。
メダル本体の裏面には「神武紀元二千五百五十五年 明治廿八年五月 鶴岡有志紀念会」の文字がある。「鶴岡」というのは、山形県の鶴岡市のことだろうか。
日清戦争の講和条約が結ばれたのは明治28年4月17日なので、それを受けての勝利記念グッズであったわけだ。
デザインはいたってシンプル、表面は「征清 戦捷 記念章」の文字があり、上部に穴があけられている。この時代のバッジにしても、まあ粗製の部類に入るだろう。
当時はプレス機などがまだ不十分だったのか、古いバッジには刻印の浅いものが多くみられる。このメダルの場合は素材が極めて柔らかいので、プレス加工は容易である。ダイキャスト製の可能性もあるが、文字のキワの部分が割とシャープなので、プレス製と思う。
日清戦争勝利記念メダルには、このような素朴なツクリのメダルがある一方、今見ても極めて精巧なツクリのものも見られる。要はカネのかかり具合だと思うが。
日清戦争から10年後、明治37~38年の日露戦争の頃になるとある程度バッジ・メダルの類も定型化してくる印象がある。この10年間に日本の徽章文化は大きな進展したといえる。
これまで紹介してきたものを再掲しよう。
こちらは日清戦争モノでは傑作メダルといえる。
こちらもユニーク。七宝の美しさがいい。