徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 新疆王・盛世才贈「勇敢奨章」

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オリンピック開幕を目前に、中国の新疆ウイグル自治区喀什(カシュガル)で、武装警察を標的としたテロが発生した。まさに懸念されていた事態であり、オリンピック警備は一段と厳しさを増している。

だが、厳重警備の中で行われるオリンピックは、これは北京に限ったことではもうないのだ。次の夏季五輪はロンドンが舞台となるが、イギリスももはや厳戒態勢の中でオリンピックを開催するしかないのだろう。
「平和の祭典」オリンピックは、もう「テロとの戦い」の場となり果てた。いつになったら真に平和な五輪になるか誰にもわからず、ということは、ますます厳戒態勢の中で五輪を開催するしかないのである。

ところで、今年春から国際世論は中国のチベット問題を巡って沸騰したが、実際の所、中国で民族問題といえば、チベットなどより、ウイグル族問題の方が遙かに深刻である。なんでみんなチベットばっかり注目してウイグル問題に言及しないのか不思議で仕方なかったが、
日本でも「フリーチベット」のかけ声と、シンボルの旗「雪山獅子旗」はさんざんメディアに登場したが、その一方で「東トルキスタン共和国」の名前すら聞くこともできなかった。チベットは仏教だが、ウイグルイスラム教だからだろうか?

とにかく、中国でも新疆というところは特殊な環境である。中国が中華民国となってから、ここではひとりの男が活躍した。人呼んで「新疆王」、軍閥の盛世才である。

日本の陸軍大学に留学した経歴の持ち主で、新疆省の招きで軍官学校に就任、ここで軍事力を掌握し、ソ連との関係を強化しながら、ついには新疆を半ば独立国状態にしてしまうのである。
中央政府はといえば、この軍事的実力者を追認することしかできず、1933年、盛世才を新疆辺防督弁に任命する。こうして、約10年間、ソ連と国民政府の力のバランスを利用しながら、盛世才は新疆王として君臨した。
第一次東トルキスタン共和国(1933-34年)を工作によって崩壊させたのも、この人物である。

なんというか、数多いる中国軍閥の中でも、新疆という地理的特殊性もあって、独特の存在感を持った男であった。国民党が共産党との内戦に敗れ、盛世才も台湾に落ち延び、1970年台湾で73年の生涯を閉じた。まさに激動の人生である。

さて、このバッジは、盛世才が新疆辺防督弁に任命された年に作られたモノ。
全体はハート型で、表面は国民党旗と中華民国国旗が描かれており、中央には「勇敢」。
裏面には、「新疆辺防督弁 盛世才贈 民国弐十弐年(1933年)」とある。
おもしろいのはこのツクリで、プレスした2枚の薄い金属片を表裏ハンダ付けで貼り合わせてある。たまにこうしたツクリの中国バッジを見ることがあるが、未熟なプレス機ではこの方が簡単に作れるからであろう。日本でも表裏貼り合わせバッジはないわけではないが、昭和以前の古いモノに限られている気がする。一方、中国では1940年代中頃までこうしたツクリのバッジがあって、なんだかバッジ製作の苦労がしのばれる。

最後に、これが盛世才の肖像。抗日主義者でもあった盛世才だが、その右胸(ポケット下)に日本の陸軍大学卒業徽章が光っているのが興味深い。左胸にメダルが2つ並んでいるが、これがなにかは不明。
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なお、以前紹介した第二次東トルキスタン共和国独立運動「三区革命」記念メダルもご参考に。これもかなり歴史的名品。