徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 「徽章雑誌 第四号」(日本帝国徽章商会 明治37年) ~その2~

昨日の続き、日本帝国徽章商会発行の「徽章雑誌 第四号」についてである。
考えてみればこの「徽章雑誌」、日露戦争開戦直後に創刊したわけである。日本の近代史を決定づけたこの戦争は、また国内の徽章業界にとっても多大な影響を与えた。ロコツな言い方をすれば、かき入れ時だったのである。

謹て全国の同胞に告く」の見出しで、こう書かれている。

「日本帝国徽章商会は明治10年当市麹町区飯田町3丁目十番地に創業以来大方各位のご愛顧を蒙り年一年に業務発達仕り今や日本国中徽章賞牌の専門業は我が商会のみ」
「本誌記載の徽章賞牌は皆我が商会の製作品にして遺憾ながら誌面限りあり千百中に十一を掲載したるもの有り之候唯だ今後新たに会員章或いは賞牌などの御製作相成候御参考に供せんとするの旨趣に御座候」
・・・と本題に続く。この小冊子はあくまで商品カタログなのである。

製作依頼については次のようにあり、カタログからパターンを選び、アレンジを加える方法は、現在でも基本的にほとんど変わらないのではないかと思う。

「(中略)真鍮、アルミ、銅、四分一、銀、金七宝その他金属は如何なるものにても御好に応じ申候又模様文字等は如何なる細密なるものにても御図案により調製可致或は意匠図案を商会に御依頼相成節は直ちに相認め御郵送可申上候その他形状大小等本誌記載のものは実物を写したるものに候間宜しく御照合被下度候価格の義も一の標準を示したるものにして個数の多少装飾の有無地金の区別等により異動有之候得共総て前例に倣い兵事団体の徽章は実費の他に不申受候間何卒他と御比較の上御承知相成度候」

価格については、「洋銀製両面浮出しの模様及び文字を顕し壱個毎に箱入りとし金五銭以上拾銭以内を以て御引請可申候」とあり、これが標準らしい。明治37年当時の5~10銭という貨幣価値を、現在で当てはめるとどのくらいになるのだろうか。

締めくくりはこうである。
「従軍の将校兵士諸君にしてその勲功に対しそれぞれ勲章の御授与相成候事は申すまでもなく之候得共近きに親しく随って其の情に於いても深切なるは人情の常に有之候間同郷同町村より御出征の将校兵士に対し同郷の友誼上永久の紀念として贈与せらるる賞牌三種は我が商会が苦辛経営したる斬新優美なるもの有之候之は各地の兵事団体または町村役場の申込みに対し無代価を以て御送付致候に付同郷人が名誉を永世に伝へ御本人及び其の遺族に対して敬意を表せられんとするの御志あらば無御遠慮御申越相成度候」

「素より戦死負傷生還等の区別に拘るものに無之従軍の紀念なれば其の御含みにて贈られ度将又御申越之際は将校何個下士何個兵士何個と御明記相成度候実に我が商会の微志は之の空前絶後国難に殉し家を忘れ身を忘れ国家の干城となり国威を中外に発揚せられたるの勲績は国と倶に無朽に伝へて吾人の子孫はあらん限りの敬意を払わざるべからず則ち勲章の御下賜は公の沙汰にして同郷の士が友愛の精神に訴へて贈与せらるるは私情の切なるを表示するものに有之候我が商会が精神亦茲に存するものに御座候敬具」

なかなか巧みな論法だと思うが、いかがだろうか。
将兵には国から勲章が授与されるが、命がけで戦う将兵に、同郷人や知人が記念になるモノを贈ってあげたいと思うのは自然な感情であろう。

なるほど・・・と改めて思った。
戦争勃発により、勲章への憧れが強まったこの時代、それにつられるようにして、いわば「私的な勲章」として各種バッジやメダルを贈ることが流行ったのだろう。確かに日露戦争時の例えば凱旋記念や戦勝記念バッジなどの記念モノは大変多いのも頷ける。
今から思えば、徽章業界にとっては、夢のような時代であったかも知れない。