徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中華民国 「民主政党」バッジ

イメージ 1

選挙絡みで政治関連バッジを連続して紹介してきて、まあネタはまだあるのだがさすがに日本モノばっかりでこちらも飽きてきた。
少し目先を変えて、コレクションケースの中からたまたま目に入ったこのバッジでも紹介しよう。それも「民主」絡みで。

ツクリからして古色蒼然とした画像のバッジ。実はちょっと正体がよくわからない。
民主政党」と読ませるのであろう。銀地に水色の七宝、金メッキがよく映えてなかなか美しいバッジである(実に私好みのバッジ!)。
縁を飾るデザインは、中国の伝統的吉祥紋である「瑞雲」をイメージしているのだろう。中央は、光を放つ珠のようにも見える。
裏には4桁のアラビア数字の刻印もあり、メンバーバッジである。

中国では、辛亥革命(1911年)後、臨時大総統に就任した袁世凱のもと、史上初の国会開設に向けて無数の政党が乱立することとなる。1912年の選挙結果は、宋教仁率いる国民党が圧勝。これに危機感を抱いた袁世凱は、刺客を放って上海駅で宋教仁を暗殺した。
民主主義は立ち後れた国の実態に合わない、とする意見に敢然と反対し、あくまで議院内閣制を主張した宋教仁。彼の死は、どうしても中国にとって歴史的損失であったのではないか・・・と思う。
民主主義を人民に根付かせるには、民主主義の中で人民を鍛えるしかない、という主張は、21世紀の今日なお政治的混乱を来している世界中の国々で強い説得力を持つのではないか。
宋教仁亡き後の中国は、それ見たことかといわんばかりに、孫文の革命結社が中心となった武装闘争に立ち戻っていく。そして、議会制民主主義で人民を育てる発想などとは、まったく別次元の世界に進んでいくのである。

さて、バッジの話に戻るが、この時期に雨後の筍のように大発生した泡沫政党のひとつが、バッジの「民主政党」ではなかったかと、よく分からないなりに考えている。当時、民主党というれっきとした党もあるのだが、どうもこれとは別モノのようだ。紛らわしいことこの上ない。

政党名だとすると、これは「民主・政党」ではなく、「民主政・党」と解するのが正しいのかもしれない。
裏面に「天元」というメーカー刻印が見え、この辺からも作られた場所の手がかりになるが、残念ながら私のコレクション中ではまだ見つかっていない。