徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 第5回内国勧業博覧会準備共進会徽章

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上海国際博覧会(上海万博)が始まった。北京オリンピックに続く国家プロジェクトとして、今夜、華やかな開会式が行われたところだ。
私など、今さら万博・・・という気分にもなってしまうのだが、好調の中国経済をうけてマスコミなどの注目も高く、それなりに盛り上がっているようにも見える。
中国というのは国が広いせいか、北京オリンピックの時も上海人は「オリンピックより万博だ」という意識の人が多かったともいう。北京で何してたって関係ないよ、と思っているのだろう。逆に言えば、北京人からすると、上海の万博なんて知ったこっちゃない、のかも知れない。

さて、今では世界最大のイベントといえば4年に一度開催されるオリンピックなのは間違いないが、19世紀末は万博の時代といっていいほどの盛況を博した。
国際博覧会の盛況によって、日本でも、科学技術や産業の振興のため、そして大衆の娯楽への欲求を受けて、国内博覧会が盛んに開催されたのである。

今日の一枚は、第5回内国勧業博覧会の準備共進会徽章である。
全体に桜の花の形をしており、中央には「」の一字。裏面には「勧業博覧会準備共進会」とある。
シンプルだが、少し厚みのある一体成型のためか、どことなく力強さを感じさせるツクリのバッジである。

第5回内国勧業博覧会明治36年1903年)3~7月に開催された。開催場所は、第1~3回は東京上野、第4回は京都、そしてこの第5回は大阪(現在の天王寺公園など)であった。
明治34年に第5回の開催が決定しているので、この「準備共進会」とは、博覧会準備委員会のような組織であったろう。
この博覧会は開催期間中530万人の人を集めたというからスゴイ。会場では、自動車や冷蔵庫などの先進機械、メリーゴーランドなどの遊戯施設も作られ、夜はイルミネーションが会場を彩った。また第2会場となった堺大浜公園では、大型水槽の水族館を設け、人気を博したという。けっこう楽しかったかもしれない。
だが、政府主催の内国勧業博覧会はこれが最期となった。

実は、古い日本のバッジを集めていると、明治~昭和戦前の各種博覧会関係のバッジというのにたくさん出くわす。かつての日本で、いかに博覧会が盛んであったかを実感させる。
ああ、そういえば、バブル時代、地方博覧会が流行ったときもあったね、そういえば。博覧会というのは、経済が上り調子の時でないと、やろうという気にもならないモノなのかもな。