徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 孫文埋葬紀念メダル

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上海の孫中山孫文)文物館ではいろいろな品物が展示されていたので、中には「あ、これ同じのオレも持ってるなあ」というモノも。今日は孫中山文物館にもあったメダルを、私のコレクションから紹介しよう。

辛亥革命から11年あまり後、1925年3月12日、孫文は北京で死去。中国革命のシンボルである孫文は、国葬待遇で埋葬されることとなった。生前の孫文自身の意向により、首都南京郊外の紫金山に陵墓を建設することが決定。建設工事は1926年1月に始まり、1929年春に広大な陵墓が完成した。これが中山陵である。
埋葬式は、「総理奉安大典」と呼ばれ、「総理奉安委員会」という組織が式を取り仕切った。

式典の記念に作られたのがこのメダルである。
直径76mm、厚さ約6mmの大きさがあり、肖像といい裏の陵墓の彫りといい、大変よくできたメダルである。なぜか「MEDALIC ART CO.N.Y.」とシリアルナンバーらしき数字がメダル側面に刻印されており、よくわからんがアメリカ製らしい。
裏面には、「孫中山先生安葬紀念 中華民国十八年三月十二日」とある。奉安大典の行われたのがこの日で、死去から4年目の日であった。

このメダル、10年以上前に日本の骨董店で買ったのだが、どういう経路で日本に来たものか。孫文は日本人の知己も多かったため、少なからぬ日本人も奉安大典に参列したようだ。日本人の参列者が持ち帰ったモノという可能性が高そうである。
大変ツクリのいいメダルだが、数は結構あるようで、中国でも見かけたことがあった。

さて、今回見学した孫文文物館の記念にと、私は「上海孫中山宋慶齢文物図案」という本を買った。重かったが、私にとっては参考になる本だった。この本に、このメダルのことが掲載されている。
それによって、このメダルのことが改めて判明した。
本には、次のような説明がある。
総理奉安委員会は、アメリカで2万枚の総理安葬紀念章を製作し、孫中山奉安大典の来賓に一枚ずつ与えた。紀念章は正面が孫中山レリーフ像、裏面が中山陵の図案であり、『孫中山先生安葬紀念 中華民国十八年三月十二日』と刻されている。側面には紀念章製造会社の名称『ニューヨークメダル芸術会社』と、シリアルナンバーが刻印されている。一枚ずつ藍色絹張りの箱に収められ、国民党の党徽がある。宋慶齢の所有する孫中山安葬紀念章のシリアルナンバーは6364である。

メダル本体は何度も見ているが、オリジナルケースは今回初めて見た。えー、こんな箱に入っていたのか!と思った。さすが宋慶齢所蔵品。
ちなみに私のメダルのナンバーは、7898番。宋慶齢でも6364番というのは、どういう順番なんだろうな?あまり意味はないのかも知れないけど。

2万枚作られた、というのも知らなかった。私の感覚でも、少なくなさそうだと思ったのも当然だったわけだ。
それでもれっきとした孫文ゆかりの記念品であり、かつなかなか出来もいいので、この種のメダルとしては、私のお気に入りの一枚である。

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5年ほど前に訪れた南京中山陵の写真。雪景色である。寒い日であった。