今日は寒いわ雨は降るわで、私は完全に朝から引きこもりモード。もっとも最近は何となく忙しかったので、部屋でコレクションの整理をしたりして過ごしている。ああ、癒される・・・
以前私は日本物にはあまり関心を持っていなかったが、最近では古いモノを中心に積極的に集めるようになった。そうすると、つい日本のバッジの歴史ということを考える。
少なくとも、これは明治以前にはなかった、新しいモノである。日本に徽章文化が広く普及したきっかけは、やはり日清・日露のふたつの戦争であったろう。
少なくとも、これは明治以前にはなかった、新しいモノである。日本に徽章文化が広く普及したきっかけは、やはり日清・日露のふたつの戦争であったろう。
叙勲制度ができたのは明治初頭だが、このふたつの戦争をきっかけに、世の中に勲章や従軍記章などが一気に広がったのである。そして公的な勲章・記章だけではない。民間でも記念のメダル・バッジが大量に作られた。
今日の一枚もそのひとつ。
「東京市祝捷会」、裏面には「明治三十七年」とある。つまりは1904年、今から104年前のモノだが、この手のモノはたくさんあって全く珍しいモノではない。
デザインは三種の神器の宝鏡型、東京マークの中に日章旗と旭日旗が描かれている。交差した旗の上には、小さなトンボが一匹。
トンボは戦国武将の兜にも用いられた勝利のシンボルである。この辺が何となく日本的でおもしろいところだ。
「東京市祝捷会」、裏面には「明治三十七年」とある。つまりは1904年、今から104年前のモノだが、この手のモノはたくさんあって全く珍しいモノではない。
デザインは三種の神器の宝鏡型、東京マークの中に日章旗と旭日旗が描かれている。交差した旗の上には、小さなトンボが一匹。
トンボは戦国武将の兜にも用いられた勝利のシンボルである。この辺が何となく日本的でおもしろいところだ。
何の変哲もないバッジながら、よくよく見るとできは良い。