徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 「徽章雑誌 第四号」(日本帝国徽章商会 明治37年) ~その1~

古いバッジを見ていると、なぜこんなに多様で精緻な作品が作られてきたのかと考えさせられる。そして、昔はバッジそのものに対して関心が高かったことを感じるのである。「バッジへの憧れ」といってもいいだろうか。かつて、バッジは、つけているとかっこいいアイテムでありえた。このバッジに対する気持ちが、現代では大きく違うのだ。
・・・これがこのブログを書きながらたどり着いた結論だが、それを改めて考えさせる資料を見つけた。

日本の徽章業界の草分け的存在であった徽章メーカー「日本帝国徽章商会」については、以前紹介したことがある。このメーカーでは、販売PR用として「徽章雑誌」という小冊子を作成していた。
その現物の写しが入手できたので、ぜひ紹介してみたい。
「徽章雑誌 第四号」、明治37年7月10日号である。「毎月1回25日発行」とあるから月刊誌である。

まず、「論説」として日露戦争を巡る時局を論じており、ここは全く徽章とは関係がない。
次に「雑報」の「徽章に就いて」を見てみよう。[ ]内は私による注、漢字は現代字に改める。

「徽章とは、文字の如く(しるし)なれば単に会員と否とを区分するまでの効用なれば一時的にて可なりとて当日会合の際に花簪[はなかんざし]又はリボン、紐を結び付て間に合する者も往々ある由なれ共是等は無用の費を敢てする者にして徽章は金属製品を持ちゆるの最も得策たるを知らざる者なり金属製は申す迄もなく久きしに耐え数回の会合に使用するを得て数十年の後は一の紀念となり花簪のごとく途中にて竊[ひそ]かに買い求めて勝手に飛び入りすることもできず至極便利なりといふ」

各種会合におけるメンバーの印として、ハナカンザシやリボン、ヒモを使用していたというところに、当時の習慣がしのばれる。いくら耐久性抜群とはいえバッジをわざわざこしらえるのと、どちらが「無用の費」なのかどうか疑問も残るのだが


「特別広告」の「御注文中の顧客諸君に申上候」にも、この時代の徽章業界の状況がうかがえる。

「恤兵[戦地の兵士に物品を送ること]に関する諸団体御組織相成り之れが会員徽章或いは陸海軍が戦勝毎に御開催相成り候祝勝会々員徽章等非常に相嵩み期日延引に相成何共恐縮の至りに存候昨今漸く全国各学校暑中御休暇に近き運動会の挙行も無し随て[したがって]めたる[メダル]の御用も減少致候間不日に出来御発送申上候に付左様御了承相成り度候敬具」

明治37年7月といえば、日露戦争開戦からほぼ5か月、大国ロシアに対する日本軍の戦いは国民を熱狂させた。このため、各種会員徽章の需要が急増し、メーカーでは納品が間に合わない状況になっていたようである。
また、夏休み期間に入るため、運動会などの記念メダルも減るので、間もなく発送できるだろうとしているところもおもしろい。日本帝国徽章商会製の運動会記念メダルは、実際しばしば見つけられ、学校需要が多かったことが想像されるが、実際そうだったのだ。

・・・このネタ、1回で終わらなかったので続きます。
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【関連の既出項目】
・日本帝国徽章商会と鈴木梅吉について
「徽章と徽章業の歴史」 創業者、鈴木梅吉のこと