徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 「日本徽章業発祥の地」

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先日仕事で立ち寄った飯田橋。この駅に降り立つのも久しぶりで、この店まだ残っていたか、あれここ前はなんだったっけ、などと感慨に耽りながら歩いていると。
突然この標柱に出会った。
日本徽章業 発祥の地
唐突な出会いに、私は驚いた。こんなところにあったのか、というよりも、こんなモノがよく建てられたものだ、という意外性のほうが強かったのだが。

それにしても初めて見た。説明書きにいわく、
この奥、大神宮通り向かって左側に明治18年(1885)、鈴木梅吉により日本帝国徽章商会が創られました。これは民間の徽章業のはじめで、特に明治末期、大正の初期においては日本で唯一の徽章の製作工場として大変栄えました。現在の徽章業の方々の大多数はこの商会の流れを汲み、徽章業は飯田町の日本徽章商会から生まれたといわれています。そして、現在もこのあたりは徽章業に従事する人が沢山います。

この標柱、飯田橋商店街振興会が建てたものらしい。「飯田橋散歩路」というのがあって、「13か所ある歴史の標柱では、飯田橋の歴史的な遺産を紹介しています。」という。ちなみに「散歩路」というのは「さんぽーろ」と読ませるらしい。飯田橋駅から九段下に向かう目白通り沿いに、「徽章業発祥の地」以外にも、「東京農業大学開校の地」「日本赤十字社跡」「新徴組屯所跡」などがある。

日本に徽章業が生まれるのは、明治以降のことである。文明開化として欧米の文化制度が怒濤のごとく流入したが、徽章文化も同時に取り入れ、自ら生み出すこととなった。民間でそのパイオニアとなったのが鈴木梅吉率いる日本帝国徽章商会であった。

確かに、飯田橋周辺には、現在でも徽章メーカーは多い。この地から日本製バッジが生み出されることとなったのかと思うと、バッジコレクターとして、手を合わせたくなるような標柱である。