徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 大日本体育協会賞牌(大正6年)

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近代以来、スポーツ競技にはトロフィーやカップ、そしてメダルが勝利の記念品として授与されるのが通例である。今では有名スポーツ選手の自宅などに、これら記念品が山と飾られていて、スポーツ業界とこれらの製造メーカーは共存関係にあるのだなあとつくづく考えさせられるわけだ。
そして、スポーツの栄典の象徴として最高ランクのモノがオリンピックメダル、ということになるのであろう。

日本のバッジ・メダル製造業の創成期は明治初頭になるのだが、まさに運動大会のメダルから始まったらしい。以来、今に至るまでスポーツ業界とメダル・バッジ業界は切っても切れない縁にあるといっていい。

画像は、日本体育協会のメダルである。裏に、「大正六年 大日本体育協会 西部支部」という文字が見える。
表面は、馬車に乗って疾駆する有翼の女神が描かれている。これはまさにオリンピックメダルにも描かれているギリシャ神話の勝利の女神、ニケの像である。オリンピックメダルに倣ったデザインであろう。
というわけで、メダルに有翼の女神が描かれていれば、ああこれはスポーツ大会の賞品だなとほぼ断定できるのである。
女神像の刻印はやや浅めで、そのためか若干インパクトに欠けるキライはあるが、ギリシャ彫刻風の浮き彫りはそれなりの雰囲気はあり、重厚感あるメダルとなっている。昔のメダルは刻印の浅いものが多い気がするが、プレス機の問題なのかもしれない。

さて、大日本体育協会、現在の日本体育協会のことである。
創立は明治44年、今からちょうど100年前になる。初代会長は嘉納治五郎で、創立の趣旨を、スポーツの振興と体格の向上、そしてストックホルムオリンピック(1912年)参加のための組織体制の整備、とした。
現在ではJOC(日本オリンピック委員会)が国際オリンピック委員の日本窓口としてオリンピック関連事業を一手に行っているが、日本体育協会からJOCが独立したのは1989年のこと。割と最近なのだな。

このメダル、実は箱がついていて、箱表には「賞牌」と金文字が押されている。具体的に何の大会の賞牌かまではわからない。
メダルのことを、日本ではかつて「賞牌」と呼んでいた。「牌」というのはもともと札や看板のようなモノを指す。