徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 尊皇奉仏大同団徽章(明治の徽章)

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そのうち取り上げようと思いつつ、つい紹介しそびれていたのがこのバッジ。
尊皇奉仏大同団の、おそらくは会員章であろう。
明治22年(1889年)1月、大内青巒、島地黙雷井上円了などの仏教活動家が結成した仏教系政治団体である。同年2月には、大日本帝国憲法発布により国会が開設されることとなった。近代日本の政治が、大きな変革の時を迎えていた時のことだ。

尊皇奉仏大同団は、キリスト教の政治への影響を憂慮し結成された。天皇制と仏教の融合という政教一致を目指した。その本質は国粋主義である。
全国に支部を広げ、数万の会員を有したというからかなり大きな政治団体だったのである。

画像を見てほしい。全体の形は、八稜の神鏡、中央に大きく古印体で「大同団」の文字が書かれている。裏には、大きく「尊皇奉仏」の四字。意外なほど大きく、直径(最大幅)は約46mmもある。材質は白銅らしい。

このバッジの貴重なところは、付属史料が2点、付属していることである。
まず、「助友」証書を見てみよう。「助友」というのは、よくわからないが、要するに「会友」みたいな意味であろうか。
証書の裏面には説明がある。

政治宗教教育経済其他一切ノ事業ニ当ル毎ニ必ス尊皇奉仏ノ本旨ニ背ク事無キヤ否ヤニ注意シ苟モ我皇室ト我仏教トニ毀損ヲ受シムル事無ラン事ヲ誓約シテ本団団友タルヲ証スル為メ此ニ本団ノ印章ヲ鈐シテ之ヲ交付ス
明治廿六年四月十三日
尊皇奉仏大同団本部
さらには、同じ日付で代金受領収証までが付いていて、20銭を払ったことがわかる。
西京大宮通七条上ル御器屋町」と大同団本部の住所がある。京都の地図を見ると、現在の龍谷大学のあたりに本部があったのだ。
なお、この領収書には、大同団水戸支部の印が押されている。元の所有者はどうも茨城県人であったらしい。

近代日本の時代背景と政治思想上、興味深い組織だが、バッジコレクターの私にとって意外だったのは、このバッジの大きさである。
上にも書いたとおり、本体の直径は約46mm。明治26年といえば、今から120年前。日清戦争前後の時期の他の徽章類と比較して、かなり大きい。リボンと本体は糸が切れてしまっており、補修の跡があるが、この小さなリボンの形状は、確かに古い徽章らしい。
本体の側面をよく見ると、断面を丹念にヤスリガケされていて、手仕事の感覚が残る。しかし刻印は深く明瞭で、よくできているなあと感心する。

前にも書いたが、明治の徽章は、全体に小型で彫りが浅いものが多く、この大同団バッジは少し異質な感じも受ける。
付属資料がなければ、正体がわからず、手を出そうとも思わなかっただろう。なかなか貴重なモノと思っている。