徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

森永卓郎著「マニア力」、及び年頭所感

あけましておめでとうございます。
今日は朝から風もなく穏やかに晴れ、気持ちのよい元旦でした。

さて。
新年にあたり、昨年もいろいろなことがあったので少し振り返ってみたい。
毎年年末になると、私は今年入手できたザ・ベスト・バッジはどれだろうかと考える。この一年、いろいろと買ってはきたけど、さてどれが最高の一品かというと・・・うーん、まあ別に悪くはないけど、突出してこれがイチバン!というのが、正直思い当たらないのであった。素晴らしいモノがないワケじゃないんだけど、やや小ぶりという感じ。
全体に、なんだか良いモノが少なくなってきている気がする。もちろん、モノがなくなるわけではなく、正確には流通しなくなっているということだ。しかも、私自身、糸目をつけずに買いあさる経済的体力がない。

そんなわけで、どうも最近、「わがコレクション道いかに進むべきか」を考えざるを得ないのである。

先日、長時間電車に乗るので暇つぶしに駅の書店で、森永卓郎著「マニア力」(まにありょく、マイナビ新書)という本を読んだ。もっとも、あまりにもあっという間に読み終わってしまったので、あまり時間つぶしにならなかったけど。

森永卓郎といえばテレビでもおなじみの経済アナリストだが、まあ大変なコレクター癖の持ち主でもある。コレクションの種類は現在60種類というからすさまじい。本書では、やがて超高齢社会を迎える日本では、年をとっても熱中できるモノが必要で、そしてコレクションこそが生きがいを感じるために必要になる、と強調する。
金がなくてもよい。タダで集められるモノはたくさんある。しかもゴールはないほどおもしろい。
集めるモノは、感性次第で何でもよい。「コレクションとは、自分が集めたいものを、集めたいように集めること」であって、それに熱中できるのがコレクターだと断言する。
例えば、著者が集めているものがなにかといえば、ミニカー、グリコのオマケ、喫茶店のコースター、空き缶、街頭ティッシュ、ペットボトルのキャップなどなど。
まあ、ミニカーなどはコレクターも多く、いかにもコレクターアイテムらしい感じもする。レア物には、驚くほど高い値段もつくだろう(よく知らないけど)。何十年も前からリアルタイムで集めていた人ならいざ知らず、もしミニカーコレクションをゼロから新規にスタートしようと思ったら、資金的に大変だろうと思う。金のかからない趣味とはとてもいえないことになる。
どうでもいいけど、この人のコレクションで私が気を惹かれるモノは、残念ながら全くない。純粋に好みの違いであろう。

一方、ペットボトルや街頭ティッシュなら、まあほとんど金がかかることはないだろう。もっとも、金がかからないコレクションというのは、その分労力がかかる。基本的に、ひとつひとつ集めていくしかないからだ。例えばコレクターの多い切手なら、すでにある程度集まった量をまとめ買いすることも可能だろう。が、ペットボトルキャップではそうはいくまい。
それと、私は思うのだが、人に説明するのが難しい、というのも、もしかしたらひそかな難点かもしれない。
「ご趣味はなんですか?」
「切手集めでして」
と答えれば、どう思われるかは別として、一応聞き手は納得するだろう。だが、
「街頭ティッシュを集めてるんですよ」とか、「マクドナルドの包み紙を集めてます」
などと答えるのには躊躇するのではないか。聞き手の困惑が、容易に想像できるからだ。

だが、ひとつずつ、自分がおもしろいと思ったものを集めるという、そのこと自体は確かに楽しいことであって、私も共感する。金を湯水のように使いまくって、すでにできあがったコレクションを乗っ取るより、自分の足で少しずつ増やしていくという地道さも、やりがいに通じるものがあるだろう。
無価値なモノでも、数を集めるほどいろいろなおもしろさが見えてきて、他の人からも評価されるようになったり、価値を生じていくのは、想像するだに楽しいことだ。
それに、伝統的にコレクターの多い切手やコインなどで大家になるのは大変だが、マイナー部門ならライバルが少ない分、すぐに一等になれる。

ところで、コレクションを集めるのは、タダでもできるというのは事実だが、実はその先には深刻な事態が待っている。収納スペース問題だ。
森永卓郎も、結局は70坪のコレクションハウスを建ててしまったという。70坪といえば、その辺の一戸建てよりもかなり大きい。それも、たった3年で満杯になってしまったという。
そう、モノ自体がどんなに安くても、収納スペースの問題が待っていることを忘れてはいけない。ヘタをすると、これを解決するには、コレクションそのモノ自体よりも金がかかってしまう。

私も痛感しているが、かさばるモノは、まず初めからコレクションの対象から外した方がよい。最初はよくても、後々大変なことになる。必ず致命的な問題が発生する。コレクションというのは基本的に集めれば集めるほど、付加価値が高まる。だから、増えすぎたからといっても減らすのは容易ではない。だから、かさばるモノには最初から手を出さない、これが原則であろう。よほどの大地主でもない限り。

この本を読んで、私のバッジコレクションはどうだろうかと考えた。
幸いにして、バッジはごく小さなアイテムである。箱付きだと少しばかりはかさばるが、それでも大きさも知れている。そして、バッジには飾りとしての機能もあるため、モノ自体が本質的にキレイでカッコイイ。経年劣化で汚れたりすることはあるが、もとから汚いバッジなどというモノは存在しない。バッジは、もともと一見して魅力的でなければならない。このことは、家族などの反感を買わないため、重要なポイントである。

しかし、タダで集めるということは通常はまず不可能だ。市場で流通しているモノを買い集めるというのがバッジコレクターの基本活動になる。しかも、高いモノはべらぼうに高い。

以前も書いたとおり、中国では経済発展とともにコレクター市場が加熱し、バッジ相場ももうメチャクチャになってしまった。中国の古いバッジは私も好きで、訪中のたびに集めてきたが、今では、私の方が中国人から売ってくれと言われる始末。市場を眺めてみても良いモノは少ないし、多少いいなと思うと桁違いな値段を言われたりする。もうコリャダメだ、と諦めざるを得ない。バッジだけでなく、コレクターの数が多い中国の切手などは、もうほとんど投機目的としか思えない相場にある(が、さすがにひと頃に比べてピークは打ったらしい)。
じゃあ、日本にいるのだから日本のバッジを、と思っても、やはり良いモノが高いのは当然で、多種多様なバッジの中から、大物は初めからパスして、自分の気に入ったあまり高くないヤツを細々と集めていくというのが、現在の基本になっている。

状況としては、良くない環境になりつつあるということは確実だ。しかし、環境の悪化こそ、さらなる進化をもたらす。今まで気がつかなかったバッジに、新たな魅力を発見することができるようになるのも、コレクターとしては成長であろう・・・と少しさびしい気持ちになりつつ、今では納得している。

では、当ブログをご愛読の皆さま。今年もよろしくお願いいたします。どうぞよい年になりますように。