徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本(台湾) 征露記念帯留め

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日本の古いバッジでは、文字に篆書体が多用されていて、判読に困ることがある。それもタダの篆書体ではなくてデザイン化されていることも多く、カギとなるたった1文字の判読に悩むことも少なくない。
古いバッジを愛好する者で、篆書の判読に悩んだ体験のない者はいないと思う。

今日紹介するのは、徽章ではなく、帯留(おびどめ)である。銀地金メッキの中央に緑のガラス?を入れてある。表面だけを見て、私はてっきり徽章だと思っていたら、裏のツクリはヒモ通しがあった。完全に帯留である。

裏面に細かく、文字がある。
征露紀念 塩○港庁征露戦捷祝賀会
この、○のところに入る文字がどうしても読めず、どこのものなのかがわからなかった。

まずは「塩○港」という港名を、ネット検索。しかし、せいぜい見つかるのは「塩釜港」「塩屋港」程度。しかしそれでは文字の形がまったく異なる。
もっとずっと小規模な漁港などの可能性も考えたが、日露戦争勝利の祝賀会を開催し、その記念品をわざわざ作るほどだから、ある程度の規模と財力があるところのはずである。

次に、「庁」という文字に着目。そこで「港庁」で検索してみると、戦前台湾の行政区で、「花蓮港庁」などがぞろぞろと見つかる。
ん?台湾?
ここでひらめいた。調べてみると、「塩水港庁」という名称を発見。水の篆書体と、裏面の文字を照らし合わせると、間違いない。そうか台湾だったか。道理で見つからないわけだ・・・。
というわけで、ナゾの文字は「水」。数年来の悩みがやっと解決したのであった。
こういうのって、簡単な漢字ほどヒントが少なくてわかりにくいものだよなあ。

塩水港庁とは、現在の台南市にあったかつての行政区画である。明治34年、20庁に分けられた台湾行政区の内のひとつ。明治42年、20庁制から12庁制に統廃合されたとき、塩水港庁は嘉義庁と台南庁に編入され、消滅した。
日露戦争の時代と、塩水港庁の存立時代はぴったり符合する。

旭日勲章を思わせる光芒線に、桜花を配したデザインは、軍国時代の雰囲気が漂う一品である。しかし、中央の緑色ガラス?が女性のアクセサリーとしての華やかさを演出している。全体にツクリがよく、美しい一品である。

それにしても、まさか台湾とは思わなかった。おもしろい結果が出た。調べてみるものだなあ。