これまで当ブログでは、1900~1928年にかけてのオーストリア製メーデーバッジを紹介してきた(【既出の関連項目】を参照して欲しい)。
それらのデザインはイデオロギー色が薄く、写実的な人物像を見事に表現したモノで、雅にしてヨーロッパ徽章文化の薫り高い品であった。
それらのデザインはイデオロギー色が薄く、写実的な人物像を見事に表現したモノで、雅にしてヨーロッパ徽章文化の薫り高い品であった。
が、こちらは一転、バリバリの共産主義模様。
説明の余地もない、槌鎌入り赤旗をかたどったバッジ。「1.V.1932」はもちろん1932年5月1日のこと。
本体は薄い金属板をプレスしたツクリである。
ピンの形式はスティックピン式で、裏面にハンダ付けで留めてある。
説明の余地もない、槌鎌入り赤旗をかたどったバッジ。「1.V.1932」はもちろん1932年5月1日のこと。
本体は薄い金属板をプレスしたツクリである。
ピンの形式はスティックピン式で、裏面にハンダ付けで留めてある。
オーストリアでは、1918年に共産党が誕生した。が、世界恐慌の混乱を経て1932年に成立したドルフース政権はファシストイタリアと連携し、翌1933年に共産党を非合法化することとなる。
このバッジは1932年だから、オーストリア共産党が地下潜伏を余儀なくされる直前の年ということになる。
このバッジは1932年だから、オーストリア共産党が地下潜伏を余儀なくされる直前の年ということになる。