ニュースを見ていて、へぇ~と思った。今月6日から北朝鮮では労働党第7回党大会がついに開かれるのだそうだ。なにしろ、1980年の第6回大会以来、実に36年ぶりの開催である。初めてこのニュースを聞いた時は、えっ本当に開催するの?と思わず耳を疑ったものだ。
マイクを向けられた平壌市民のコメントは、党大会の開催を賛美する内容ばかりで(当然か)、思わず苦笑してしまった。賛美するのはいいけれど、あんまりそれ言うと、じゃあなんで今まで開催できなかったのかという話にはなりはしないかと。
マイクを向けられた平壌市民のコメントは、党大会の開催を賛美する内容ばかりで(当然か)、思わず苦笑してしまった。賛美するのはいいけれど、あんまりそれ言うと、じゃあなんで今まで開催できなかったのかという話にはなりはしないかと。
党大会の開催など、したくてもできなかったのである。党規約上は5年に一度の開催がうたわれていたのにである。
その理由は経済政策の失敗であるといわれている。失政に次ぐ失政で、スローガン上はいつも経済目標を達しているのにもかかわらず、右肩下がりの経済成長が続き、いつしか韓国と互角を競っていたはずの経済力は、今や比較にもならない。こんな状況で党大会など、開けるはずはなかったのである。この問題を正面から取り上げれば、結局は最高指導者の責任問題になりかねないのだ。
その理由は経済政策の失敗であるといわれている。失政に次ぐ失政で、スローガン上はいつも経済目標を達しているのにもかかわらず、右肩下がりの経済成長が続き、いつしか韓国と互角を競っていたはずの経済力は、今や比較にもならない。こんな状況で党大会など、開けるはずはなかったのである。この問題を正面から取り上げれば、結局は最高指導者の責任問題になりかねないのだ。
しかしまあ、新たな指導者の登場で、その問題は一旦リセットということになったのだろうか。このところロケット発射実験を立て続けに行っていたのも、党大会開催のための新指導者の実績作り、というのが真相だったわけだ。今にして思えば。
この党旗型金日成バッジは、金日成バッジの中でも非常にメジャーなタイプである。集めているうちに、その中に裏面に文字のあるものがあることに気がついた。それが画像のバッジである。
ハングルで、「朝鮮労働党第6回大会記念」の文字がある。
つまり、表面ではまったく通常のモノと見分けはつかないが、これは1980年10月に作られていたことが明らかなバッジである。
金日成バッジを党大会の記念品として製作されていたということは、私にとってちょっとした発見であった。なぜまったく新しい記念用バッジを作らなかったのかは今も疑問だが・・・。
ハングルで、「朝鮮労働党第6回大会記念」の文字がある。
つまり、表面ではまったく通常のモノと見分けはつかないが、これは1980年10月に作られていたことが明らかなバッジである。
金日成バッジを党大会の記念品として製作されていたということは、私にとってちょっとした発見であった。なぜまったく新しい記念用バッジを作らなかったのかは今も疑問だが・・・。
このバッジには、もうひとつ発見があった。
それは、いわゆる金日成の人民服姿と、スーツ姿のバッジが同時に作られていたという点である。
かつて、人民服バッジは、スーツバッジより古いタイプであるという説を唱える人がいたのだ。しかし、この2つのバッジの存在は、人民服バッジとスーツバッジの製作時期に差はないことを明確に示唆している。
もっとも、作った時期が同時なら、2タイプが存在する意味はなんなのか、という別の疑問がわいてくるわけだが・・・。これは、今も不明だ。
それは、いわゆる金日成の人民服姿と、スーツ姿のバッジが同時に作られていたという点である。
かつて、人民服バッジは、スーツバッジより古いタイプであるという説を唱える人がいたのだ。しかし、この2つのバッジの存在は、人民服バッジとスーツバッジの製作時期に差はないことを明確に示唆している。
もっとも、作った時期が同時なら、2タイプが存在する意味はなんなのか、という別の疑問がわいてくるわけだが・・・。これは、今も不明だ。
というわけで、もしかすると、今度の第7回大会でも記念バッジが登場する可能性もあると思われる。
ただし、前回と同じく、違うのは裏面の文字だけ、ということになると、表面を一見しても判別することは不可能ということになるのだが。
ただし、前回と同じく、違うのは裏面の文字だけ、ということになると、表面を一見しても判別することは不可能ということになるのだが。
海外メディアも、今回の党大会には多数取材に訪れているという。ぜひとも列席者のバッジに注目して画像を撮ってきてくれることを切に願う。