先日、「ENVEL YNE」というDVDをネットで買った。訳せば「我らのエンヴェル」。アルバニアから送られてきたDVDである。アルバニアの独裁者、エンヴェル・ホッジャが死去した直後を描いた1時間ほどのドキュメンタリー風映画。随所にホッジャの記録映像が挿入されており、私も生きて動くホッジャ同志をこれほど観たのは初めてだ。
DVDは全編アルバニア語なので話している意味はまったくわからないが、貴重なのは記録映像部分なので、あまり支障はないと思う。要するにホッジャ万歳映画である。
在りし日のホッジャ同志(中央の背の高い人物)アルバニア式ゲンコツ敬礼。
DVDは全編アルバニア語なので話している意味はまったくわからないが、貴重なのは記録映像部分なので、あまり支障はないと思う。要するにホッジャ万歳映画である。
在りし日のホッジャ同志(中央の背の高い人物)アルバニア式ゲンコツ敬礼。
子供好きなホッジャ同志
ホッジャ追悼大会?の様子
ホッジャの墓をなでさする老婆
アルバニアは、1991年に一党独裁社会主義体制が崩壊するまで、数十年に及ぶ鎖国体制を敷いてきた。社会主義国でありながら、隣国のユーゴスラヴィアを始め、ソ連、後には中国とも断交。国中に膨大なのトーチカを建設し、民兵を重視する国防体制は、まるでハリネズミ国家といわれた。この辺、毛沢東の「人民戦争論」の影響が感じられる。
この国を率いたのが、アルバニア労働党第一書記エンヴェル・ホッジャである。
1946年アルバニア人民共和国が建国してから、1985年に死去するまで、ほぼ40年以上最高指導者でいつづけた。ソ連が崩壊して、東ヨーロッパの社会主義国はバタバタと倒れ、アルバニアもその例外ではなかったが、ホッジャは独裁者のまま最期の時を迎えることができた。
1946年アルバニア人民共和国が建国してから、1985年に死去するまで、ほぼ40年以上最高指導者でいつづけた。ソ連が崩壊して、東ヨーロッパの社会主義国はバタバタと倒れ、アルバニアもその例外ではなかったが、ホッジャは独裁者のまま最期の時を迎えることができた。
当ブログではこれまでいろいろなアルバニアバッジ(メダル、勲章含む)紹介してきた。
そんな権力者じゃあ、さぞかしホッジャ・バッジはたくさんあるだろうと思うとさにあらず。私が知る中では、これくらいしかないのである。
赤旗に描かれているのはホッジャ同志。
下には「KONGRESI i 9 i PPSH」とある。「アルバニア労働党第9回党大会」という意味であろう。
アルバニア労働党第9回党大会がいつ開催されたのか調べてみると、1986年11月。ということは、ホッジャ亡き後の初めての党大会だ。
ホッジャが健在の時は、彼のバッジは作られなかったのではないかと思っている。で、死後、記念大会ともいえる初の党大会で彼のバッジが登場したのではないか。
中国の文化大革命の影響を極めて強く受けたアルバニアだが、毛沢東バッジが大流行した中国とは、この面ではまったく違っているのが興味深い。逆に、北朝鮮などは中国の影響を受けて、金日成バッジが制度化していったと考えている。
後継者となったのは、ラミズ・アリア。ホッジャ主義の継承を掲げたが、事実上、最高権力者であるアリアが一党独裁体制の幕引き役となった。ある意味、彼は見事にその困難な大役を務めたといえるのではないか。