このところ、オリンピックだのなんだのとイマドキのバッジネタに終始してしまったので、久しぶりに本題に戻ろう。このブログの本旨は、歴史的なバッジを堪能することなのである。
今日の一枚は、労働農民党のバッジである。
日本プロレタリア政党の先駆けとなった農民労働党が成立したのは1925年だが、治安維持法の適用により即日解散。この農民労働党から分かれて生まれたのが、共産主義に否定的な右派の社会民衆党、中道の日本労農党、そして左派の労働農民党の3党であった(いずれも名前が大変紛らわしく、何とかして欲しかったものである)。
第1回普通選挙(1928年)では、労働農民党が2議席、日本労農党が1議席、社会民衆党が4議席、その他1議席の合計8議席を獲得した。
しかし、プロレタリア政党の躍進に神経を尖らせた田中義一内閣は、選挙直後に共産党員の大量検挙に乗り出し(3.15事件)、労働農民党も解散処分となった(4.10解散命令)。結党からわずか2年の短命に終わったのだ。
しかし、プロレタリア政党の躍進に神経を尖らせた田中義一内閣は、選挙直後に共産党員の大量検挙に乗り出し(3.15事件)、労働農民党も解散処分となった(4.10解散命令)。結党からわずか2年の短命に終わったのだ。
デザインは労農党の党員章そのもの(既出の関連項目参照)で、ただし党員章が鮮やかな七宝彩色なのにくらべ、銅の打ち出しに黒い色づけでより立体感が強調されている。
労働者を表す歯車、農民を表す麦穂に、社会主義のシンボルたる5角星を描いている。イベント記念品だからだろう、直径は27mmと党員章よりもだいぶ大きい。
労働者を表す歯車、農民を表す麦穂に、社会主義のシンボルたる5角星を描いている。イベント記念品だからだろう、直径は27mmと党員章よりもだいぶ大きい。
上部の安全ピンもオリジナル、全体の状態も非常によく、私の戦前政党バッジコレクションの中でも貴重な一品である。