久しぶりに無産政党モノでもとりあげるか・・・とコレクションを眺めていてそんな気分になった。
1928年、無産政党の分裂状態を解消すべく、日本農民党や日本労農党、無産大衆党など7党が大同団結し結成されたのが日本大衆党であった。
ところが、やはり寄り合い所帯の悲しさというべきか、例によって派閥争いが勃発、指導部の追い落としと刷新が行われ、新たなグループの合同も経て、1930年7月、全国大衆党が誕生した。
この全国大衆党の寿命もまた短く、翌1931年7月には全国労農大衆党となり、さらに社会民衆党との合同により、1932年7月には社会大衆党が結成され、ようやく無産政党の統一が図られるのだが、その頃時局は満州事変後戦時体制一色となっており、無産政党も完全に染まっていく・・・ああ、ややこしい。
さて、今日の一枚は、実質1年ほどで実質的に姿を消したその全国大衆党のバッジである。裏面には「昭和5年度大会代議員章」とあり、この短命にに終わったこのプロレタリア政党の活動を示している。
しかしこのバッジの造形はなかなか見事である。中央に描かれた2人の男の腕肩たるや実に筋骨隆々、労働者階級のたくましさを表現しているのであろう。
一人は農民であろうか、ねじり鉢巻きに鎌を持ち、もう一人の男は労働者風の帽子をかぶり五角星のついた旗(党旗?)を掲げている。
2人の厳しい表情は、社会に対する怒りを表したものか。二人の周りを囲んでいるのは、砕かれた鉄鎖である。
赤銅製に黒染めで陰影を表現していて、いっそうなにか力強さのようなものが強調されているようだ。
こんなバッジを胸にした当時の党員たちの心意気に思いを馳せたい。
【関連の既出項目】
日本 社会民衆党バッジ(1926-1932)