徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 浅沼稲次郎デスマスク・バッジ

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命日ということで、今日はぜひ紹介したいバッジがある。

一見して異様な雰囲気を漂わすバッジだ。黒地の正方形に目を閉じた男の立体的な肖像。
社会党委員長・浅沼稲次郎デスマスク・バッジである。

1960年10月12日、日比谷公会堂。浅沼委員長の演説中に、突然左側から一人の男が体ごと突進し、あっという間に犯人は壇上で警備員その他の大勢の人々に押さえつけられる。記録映像としてあまりにも有名なシーンである。右翼少年による政治的テロ事件であった。
左わき腹を刺された浅沼委員長の傷は深く、即死に近い状態となった。
17歳の犯人、山口二矢は、鑑別所内で自殺した。

私のうちには、ずっと昔、神田の古本屋で購入した浅沼稲次郎の色紙がある。
解放 浅沼稲次郎」と書かれたものだ。いつのものかはわからない。
彼の演説の声は野太いダミ声だが、お世辞にもきれいとは言えない筆跡は、彼の地声を想起させた。

バッジは浅沼委員長のデスマスクである。裏面には「‘60 10.12 浅沼委員長の遺志をついで」とある。
事件からひと月あまり後、11月には第29回衆議院議員選挙が実施された。社会党にとっては「弔い選挙」となったわけだが、想像するに、このバッジはその際に作成されたものかもしれない。あるいは、のちの追悼大会か何かの参加記念品だろうか。

それにしても、デスマスクを生かしたバッジというのはあまりに異様で、私も類似のものを見たことがない。事件の衝撃さの大きさを思わせる一品である。

戦前から労働運動に身を投じ、無産政党の指導者だった浅沼。
当ブログでは彼も参加した日本労農党の前身、労働農民党のバッジをすでに紹介しているので、以下は参考に。