今日、日本人拉致被害者関連の報道があった。
「韓国人拉致被害者の家族らでつくる「拉北者家族会」の崔成竜(チェソンヨン)代表は27日、鳥取県米子市出身で、北朝鮮による拉致被害者に認定されている松本京子さん(拉致当時29)とされる女性が写った写真を公表した。約4カ月前、平壌の消息筋から「松本さんの結婚式の写真」として渡されたという。
松本さんは1977年に行方不明になった。崔代表によれば、写真は81~82年ごろに撮られたという。崔代表は、女性と一緒に写った男性は「北朝鮮の人間ではない」と聞いたという。(以下略)」
(朝日新聞デジタル版より)
「韓国人拉致被害者の家族らでつくる「拉北者家族会」の崔成竜(チェソンヨン)代表は27日、鳥取県米子市出身で、北朝鮮による拉致被害者に認定されている松本京子さん(拉致当時29)とされる女性が写った写真を公表した。約4カ月前、平壌の消息筋から「松本さんの結婚式の写真」として渡されたという。
松本さんは1977年に行方不明になった。崔代表によれば、写真は81~82年ごろに撮られたという。崔代表は、女性と一緒に写った男性は「北朝鮮の人間ではない」と聞いたという。(以下略)」
(朝日新聞デジタル版より)
どんな写真か気になったのでうちに帰ってから調べるたのが、これである。
男女の胸にはっきりとバッジが写っている。
あ、金日成バッジだ、と私はしばし写真に見入ってしまった。
それにしても一体何なのだろう、この男女の写真は。
撮影場所も、年月日も、写っている人の名前もわからない。背景もただの民家のようだ。
男性側に至っては、(実に都合よく)顔半分が剥がれてなくなっている(しかし女性側だけきれいに残っている)。
怪しむなというほうが無理であろう。
撮影場所も、年月日も、写っている人の名前もわからない。背景もただの民家のようだ。
男性側に至っては、(実に都合よく)顔半分が剥がれてなくなっている(しかし女性側だけきれいに残っている)。
怪しむなというほうが無理であろう。
さらに、この写真が北朝鮮側から韓国団体に渡った経緯もはっきりせず、なぜ日本人拉致被害者とされているのかも実に曖昧である。さらに日本にいる家族からも「似ていない」と言われる始末。
これで一体何が判明するのだろう?すべてにおいてデータが欠如している。
これで一体何が判明するのだろう?すべてにおいてデータが欠如している。
あらゆる意味で不可解な写真だが、ここはバッジのブログだ。とにかくバッジに注目しよう。
金日成バッジには多くの種類があるが、詳細は不明ながら間違いなく丸型タイプではある。
しかし実際には「丸型金バッジ」といっても様々なバージョンが存在する。その一例を画像で紹介しよう。
実際にはさらにマイナーな違い(花飾りの形、メッキの有無、大きさの違い等)まで含めると、本当にキリがないので、代表的なものを私のコレクションから抽出した。
この6つのタイプの中でも、右から3つめのタイプが以前は最も一般的で、私の金日成バッジコレクションの中でもこれが一番多い。写真のバッジもこれに似ているように見える。
男性のつけているバッジのほうが見やすいのでそれを注目してみるが、いや待てよ、このメジャータイプよりも、ちょっと大きいような・・・うーん、どうだろう・・・。
ともかく、この写真は1970年代後半頃から1980年代にかけて撮影された可能性が高い、と思う。なぜかというと、このバッジが最もポピュラーであった時代と推定されるからだ。
したがって、記事では「写真は81~82年ごろに撮られた」とある。確かに、そのことについてはバッジのタイプからして矛盾はないといっていい。
もっと詳しくは、北朝鮮で刊行されているグラフ雑誌のバックナンバーなど数を当たれば、もう少し時代ごとのバッジのタイプの変遷もはっきりとするはずである。残念ながら私のところにはそこまでの資料はないので、データを示すことはできない。
したがって、記事では「写真は81~82年ごろに撮られた」とある。確かに、そのことについてはバッジのタイプからして矛盾はないといっていい。
もっと詳しくは、北朝鮮で刊行されているグラフ雑誌のバックナンバーなど数を当たれば、もう少し時代ごとのバッジのタイプの変遷もはっきりとするはずである。残念ながら私のところにはそこまでの資料はないので、データを示すことはできない。
そんなんじゃなんの情報にもなっていないじゃないかと言われればそれまでだ。しかし逆に言えば、それ以上の情報がこの写真から得られるだろうか。
結局は何の手掛かりも情報も得られず、そもそも写っている人物が誰かなのかすら不明のまま終わってしまうのではないか。
結局は何の手掛かりも情報も得られず、そもそも写っている人物が誰かなのかすら不明のまま終わってしまうのではないか。