インパクトあるなあ・・・と、非常に目立つので見るたび思っていた。意外に高いのでずっと買わないでいたが、ある時ずいぶん安い値段を言われたので買ったのがこのバッジ。
このバッジ、正式名称は「軍事功労徽章」という。
昭和7年4月に陸軍省が制定したもので、陸軍大臣名で該当者に贈り、軍における式典などに参列する場合に左胸に佩用することとなっていた。
なお、この時制定されたバッジは神鏡型のバッジで、これとは全く異なる形状であった。
昭和7年といえば、この年の9月、満州事変が勃発した年である。
昭和7年4月に陸軍省が制定したもので、陸軍大臣名で該当者に贈り、軍における式典などに参列する場合に左胸に佩用することとなっていた。
なお、この時制定されたバッジは神鏡型のバッジで、これとは全く異なる形状であった。
昭和7年といえば、この年の9月、満州事変が勃発した年である。
時代はもう少し下って昭和16年4月。軍事功労徽章は、全く違う形のバッジとして改訂された。「銅若クハ真鍮星章及輪郭ハ金色其ノ他ノ部分ハ赤色ノ七宝」と定められた。
これが画像のバッジである。
佩用方法も、左胸から右胸に変更となった。
あたかも、12月に真珠湾攻撃で太平洋戦争が幕を開けた、その年の春のことである。
これが画像のバッジである。
佩用方法も、左胸から右胸に変更となった。
あたかも、12月に真珠湾攻撃で太平洋戦争が幕を開けた、その年の春のことである。
なぜこのような変更が必要となったのか、全く不明である。強いて想像すれば、神鏡型のバッジは当時極めてありふれた形状であり、より目立つバッジが必要になったくらいしか考えられない。
佩用部位が左胸から右胸に変わったのも、そのためではないだろうか。
佩用部位が左胸から右胸に変わったのも、そのためではないだろうか。
確かにこのバッジなら目立つこと間違いなしであろう。中央の星章も厚みがあって立体的にできている。
(そのためうまくスキャナで画像を取り込めなかった・・・)
(そのためうまくスキャナで画像を取り込めなかった・・・)
星を組み合わせたような横長デザインは、洗練されているかどうかはともかく、まあ確実に目立つようにはなったはずだ。