徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 ノモンハン事件戦利品? ~日本軍トレンチアート~

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ノモンハン記念品(1938年)

「トレンチアート」という言葉を御存じだろうか。トレンチとはこの場合、塹壕のことで、戦場の兵士が暇つぶしに身近な材料で手作りした品々を指す。薬莢や銃弾、爆弾の破片などの戦場ならでは材料で、多くは素人工作の素朴なものだが、中には工芸制作のプロが作ったのではないかと思われる精緻なものものまで、古今東西多種多様な品々が存在する。

それらの多くは、決して実用的必要に迫られて作ったものというより、作ることを楽しむためのものであろう。実に不思議な人間の習性である。

さて、昭和の戦争期にも、日本軍兵士によるトレンチアート作品は数多く存在する。

画像の一品もその一つで、きわめて素朴なものである。形状からしてペンダントトップであろうか。

アルミ合金製、幅は約40mm、厚さは6mmとかなり厚みのある材料である。

SBプロペラノハヘンノ一部」と「SB」と書かれた飛行機の絵、裏面に「ノモンハン 2599 記念」の文字がある。

「SB」とはなんであるか。添えられた飛行機の絵のおかげで、ソ連の双発高速爆撃機「ツポレフSB」の破片で作られたことが容易に判明した。確かにこの飛行機の絵は、双発機のそれである。

1939年に日本・満州軍とソ連・モンゴル軍の間で勃発したノモンハン事件では確かにツポレフSBが参加しており、矛盾はない。

よくよく見ると、文字や飛行機の絵は、鋭利な工具等で彫りこまれたものではない。くぼんだ所を拡大して見るとザラつきデコボコしており、どうも薬品で腐食させたようである。

どうやってつくったのだろうかと想像する。こんな方法はどうであろう。

例えば、ヤスリで成型した後、表面にロウを薄く塗ったあと、文字や絵の部分だけロウを削り、酸に漬けておく。しばらく放置した後、ロウを除去して完成。・・・

ここでさらに想像が膨らむのだが、酸に漬けて作ったとすると、その時はきっと複数の作品が同時に作られたのではないだろうか。どこかの部隊の何人かが集まって、ソ連軍機の残骸を削り取って、自分のオリジナル作品を作りあったかもしれないと思うと少し愉快である。まあこの辺はただの妄想だけど。

まあ素人の素朴な工作であるが、ノモンハン事件ソ連軍との戦いで得られた戦利品として、多少面白い一品のような気がする。