これまで多くのバッジやメダルをこのブログでは紹介してきた。しかしまあ、書いている方としては、楽しいと思うのは、やはり歴史ある一品である。その一枚には歴史が凝縮されている。
今では見られないようなツクリをしたバッジには、作り手の気迫がこもっているようにも感じられ、つけていた人の気持ちが伝わるような気もする。自室にいながらにして、歴史に触れられる瞬間である。
今では見られないようなツクリをしたバッジには、作り手の気迫がこもっているようにも感じられ、つけていた人の気持ちが伝わるような気もする。自室にいながらにして、歴史に触れられる瞬間である。
まずは画像を見ていただこう。
日本軍人が陸海軍の軍旗を掲げ、片手を高く振りかざしている。頭上には日輪が輝き、そして地球を股にかけて日本の世界への雄飛を象徴している。めでたさのあふれる図案である。
裏面には、「邑楽郡凱旋歓迎会」とある。
日本軍人が陸海軍の軍旗を掲げ、片手を高く振りかざしている。頭上には日輪が輝き、そして地球を股にかけて日本の世界への雄飛を象徴している。めでたさのあふれる図案である。
裏面には、「邑楽郡凱旋歓迎会」とある。
さらに、箱には入手の由来が丁寧に筆で書かれていて、明治28年6月に開かれた邑楽郡凱旋歓迎会で贈られたということがわかる。邑楽郡は、埼玉県のすぐ北、利根川を挟んだところにある。おそらく、日清戦争当時は養蚕の盛んな地であったろう。
それにしても、このメダルはなんと出来が素晴らしいことか。説明がなければ、明治20年代の作とは全く信じられない。
刻印も鮮明で、この時代によくあるツクリの稚拙さは全く見られない。どこで作られたモノかは不明だが、きっと名のあるメーカーのものであろう。
刻印も鮮明で、この時代によくあるツクリの稚拙さは全く見られない。どこで作られたモノかは不明だが、きっと名のあるメーカーのものであろう。
国ではなく、民間団体が作るモノの場合は、はっきり言って財力がモノを言うのが一般的である。カネのあるところが作るモノは、やはり立派なことが多い。
このメダルは、邑楽郡の凱旋歓迎会のモノで、それもちょっと驚きである。うーむ、群馬県郡部の一歓迎会が、なんでそんなに金をかけて作ったのだろうかと思うと意外だ(注:邑楽郡はよいところです)。
このメダルは、邑楽郡の凱旋歓迎会のモノで、それもちょっと驚きである。うーむ、群馬県郡部の一歓迎会が、なんでそんなに金をかけて作ったのだろうかと思うと意外だ(注:邑楽郡はよいところです)。