徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

番外編 「私は如何にして躊躇するのをやめてバッジを愛するようになったか」

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ああ、今週末はゆっくりしたなあ。特に今日は1日うちにいましたが、ゴロゴロしながら本を読み、ゆっくり食事を取りました。昨日よりもずっと暖かく、過ごしやすい日でした。なんて休日らしい休日。
久しぶりにCDも買った。

で、それを聞きながら、菊花茶をすすりつつ、今これを書いているところ。東京事変椎名林檎だ)の「大人」。めったにCDなんて買わない私が椎名林檎とは、なんだか不思議だ。友人が知ったら笑うかな?

私のコレクションは、割合としてはバッジが9割を占めているものの、それ以外のものもけっこうあります。どんなものがあるかというと、まずバッジ。メダル、勲章類。あと旗、腕章、胸章といった布モノもかなりあります。あと胸像などの置物類。古い印章。・・・あ、もちろん本・雑誌も多数。

コレクションは、初めからやろうと決意していたわけではありません。むしろ、初めは「コレクター」という人種には、なんだか否定的なイメージがありましたね。
・・・でも、私が心を寄せるものには、なんだか共通点みたいなものがあると、やがて気がつくようになりました。
まあ、一概に言えないけど、どうやら自分は「しるし」なものに興味があるんじゃないか、と自己分析しています。

実はバッジというのは本来実用的なものでもなんでもない。服は身体保護や温度調節といった重要な機能があるけど、バッジはつけていたからどうということはない。ただ、社会性動物である人間にとっては時として重要な役割を果たすのです。
つまり、「オレは、こういう者だ」という証。学校や会社のバッジは組織へ帰属していることを表し、メダルや勲章は、ある組織や国家から重要な功績を果たした人間と認められた証となります。
いちいち説明しなくても、見る人が見れば、ああコイツはあの組織の人間か、こういう人間か、と分かることになります。
どんな人でも、ただ、胸に一点の「しるし」をつけることにより、その人の社会的区分が規定される。実におもしろい働きを果たすのです。

その不思議な働きを持つアイテムに、私はなんだか惹かれたのでしょう。旗や腕章、印章もある意味似た働きを持つもの、といえるかもしれません。
大勢の人間の中で、「オレは、これなんだ」という、「しるし」そのものなのです。アイテム化されたアイデンティティー。それには、その人・集団の思いがこもっています。その思いは、とても熱いものです。
私は、その熱い歴史を、この手の平に転がして、感じたいのかもしれません。

一方、どうしてこのような金属片がその役割を果たすようになったかというと、それがまたこの2本足動物のおもしろいところ。人間は金属が好きだから、というのが私の想像です。
これが私の提唱する(?)、「地球人類=“メタルマニア”説」!

人間の歴史は、圧倒的ほとんどの部分、石器時代を過ごしてきました。金属を手に入れたのは、ごくごく最近になっての短期間に過ぎないのです。で、金属を手に入れた人間がどのようにそれを使ったかというと、宗教上の道具(祭器)として広く使用しているわけです。
それと硬貨。なぜって、金属をみんなが欲しがるから。

キラキラ光って硬くて重いというのは、金属の持つ、実に非人体的性質です。太古の人類は、それに心から魅了されたんじゃないかと思うのです。
いや、今だって同じです。貴金属がなんで高価なのかというと(工業的な価値は別として)、太古の心性が今も生きているからかもしれません。まあ人間の習性みたいなものじゃないかと思う。

画像は今回特別大公開!の私のコレクションケースの1つ。こうしてみると、バッジ以外にも色んなブツがまとまりもなく混ざっているのが分かるでしょうか。

いやあ、実に、私も地球人類だな・・・。