徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 ある「愛国華僑のバッジ」

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出張で、16日、17日は神戸に行ってきた。たまには泊まりの出張も悪くないもんだが、なんでまたこの忙しいときに~!もーなんとかしてー!と思わないでもない。

それでも2日目は特に天気が良く、暖かく、春のような日和だった。神戸に来るのはずいぶん久しぶりで、文句を言いつつも、実際にはつかの間の開放感を味わえたのも事実。

せっかく神戸まで来たのだからと、僅かな時間の合間に、港に面した公園「メリケンパーク」に行った。この公園の一画は、あの震災時に破壊された港をそのままに保存している。私は神戸の震災にはとても関心があったので、是非見たいと思っていたのだ。
崩れ落ちた舗装道路。斜めに傾いだ電灯。・・・神戸の港湾施設が受けた甚大な被害を想像することができる。

メリケンパークは、中華街の近くにあって、地図を見ると「神戸華僑歴史資料館」というのを発見。これは是非とも行かねば!
地図を片手に、あれ、ここでいいのかな?と思いつつ華僑総会のビルの2階へ。そこが資料館になっていた。
入場料を払ってはいると、孫文先生の肖像に迎えられる。ああ、先生。私はすっかり知己に遭遇した気持ちだ。
神戸は孫文にとって縁の深い土地で、広東省出身者の多かった神戸の華僑は孫文に対して大きな支持を寄せた。中国での活動が失敗するたび、孫文は神戸に亡命したものだ。

さて、資料館では、ひとつのバッジが展示されていて、それに私の目は釘付けになった。撮影禁止の指示書きもなかったし誰もいなかったので遠慮なくバシバシ撮影させてもらったのがこの画像。

「呉公錦堂遺像」とあるこのバッジ、カンバッジタイプにしてはやや大きめ。一目で、これいいなあ、欲しいなあと思いました。中国に持っていったら、結構いい値が付きますね、これ。
神戸で活躍した有力華僑のバッジである。「遺像」とあるからには、追悼行事か何かの記念品として作られたのだろう(1926年没)。
呉錦堂氏は、1890年神戸にやってきて、輸出業など様々な事業を展開して成功。孫文の革命活動を資金面やその他の組織作りでバックアップすることとなる大物である。
海外で成功した華僑は、出身地にいろんなものを寄贈する習慣があった。身は外国にあっても、故郷とのつながりを忘れることがないのが彼らだった。呉錦堂氏も、故郷において水利工事や学校建設などを行い、故郷に錦を飾ったという。いわゆる「愛国華僑」の代表のような人物だ。

私の見立てでは、このバッジは日本製ではなく、中国製だ。故郷もまた、偉大な先輩に対して追悼のカタチでその恩義に報いたのだと思う。

このバッジでは小さくて不鮮明だが、展示室にあった肖像写真を見ると、正装した彼は、日中両国から贈られた赤十字章や瑞宝勲章、嘉禾勲章を胸につけている。