徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

フィリピン ホセ・リサールのバッジ

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どうもフィリピンの政情が不安定だ。マルコスを追放したというのに、あれから20年、またこれだ。

フィリピンといえば私が思い出すのは、ドクター・ホセ・リサールのことだ。
祖国の独立に身を捧げた英雄である。

高校時代、私は日比谷の図書館などに一時期通っていたのだが、日比谷公園内に割と目立つ顕彰碑がある。ドクター・リサールのそれである。
彼は、スペイン支配下にあるフィリピンの改革を進めていたのだが、1888年亡命の途中日本に立ち寄ったことがあるそうで、それが縁で非常に親日家になったという。
それはある日本人女性とのロマンスの話なのだ。彼が「おせいさん」と呼ぶ女性と知り合い、彼女を通じて日本人の美質に非常に感銘を受けたらしい。わずか1か月間の日本での滞在で、このまま日本に医者として留まろうかと思うほど心惹かれたという。
彼の言葉を読んでいると、日本人の私が申し訳なくなるくらい、日本人をべた褒めしているのだ。いわく、温順で平和で勇気があり勤勉だ、と。

だが、祖国の現状を見捨ててはおけず、万感の思いを断ち切ってフィリピンに帰国。のち、スペイン当局に逮捕され、銃殺刑により刑場の露と消えた。享年33歳。

私は彼の日本に対する思いに感銘を受けたが、それよりも深く印象に残ったのが、その日本女性のことだ。
彼女は名もない普通の女性である。出身は元旗本の家の武家で、兄は彰義隊の隊士として上野で戦死したという。明治の世にあって、権力とはむしろ反対側の立場なのだ。
そんな彼女に、心から惹かれたフィリピンの青年革命家。
顕彰碑の説明文は短かったが、それでも私に深い印象を残すに十分だった。

ドクター・リサールの日本への愛着が、日本の権力者や有力者からうけた支援に対する恩情に発するのではない。ある普通の女性とのロマンスであったというところが、泣ける。いい話だ。

このバッジはおそらくフィリピン製。
いかにも真面目そうな面立ちの青年を囲むのは、彼が成し遂げられなかった独立フィリピンの国旗である。