徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 「自由徽」バッジ

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忘れていたが、昨日2月28日は、台湾の228事件の日だ。

国民党が政権の座から降りて、「中国人の中華民国」から、「台湾人の台湾」へと変化していく中、国民党政権が起こした大弾圧事件は、政権による誤りであったと公式にされている。

事件が起こったのは1947年2月28日。日清戦争以来、日本の支配下にあった台湾は、戦後中国の領土に復帰するが、国民党支配に対する台湾民衆の不満が爆発した。
当時の中国では国共内戦の真っ最中で、そんな中発生したこの事件は、国民党政府にとって看過できないものであった。
蒋介石一派に言わせれば、反政府勢力=共産党勢力なのであり、台湾を共産主義による汚染を浄化するくらいの意識であったのではないか。こうして、数千人とも2万人とも言われる犠牲者が発生した。

1949年に共産党との戦いに敗れた国民党が台湾に逃げ込み、さらにその政権を東西冷戦のなか必要としたアメリカの支援により、蒋介石独裁制は完成する。
228事件が公に語られるようになったのは、80年代の後半からだ。

さて、今日のバッジは50年代初め、朝鮮戦争中華民国は連合国の一員として参加する。もっとも、参加すること(つまりアメリカに恩を売ること)に意義があったので、大兵力を送り込む力もそのつもりもなかったのだが。

このバッジはその当時のもの。
「自由徽」とあって、中央には青天白日満地紅旗が描かれているが、全体のデザインが国連旗にそっくりなのだ。
国際的に支持されている正当政府は自分たちだという主張なのだろう。

下には「中華民国反共義士敬贈」、裏面には「大陸に反攻しよう、共産党を消滅させよう」のスローガンが・・・うーん、なんか久しぶりだ。懐かしいな、このフレーズ。

もっとも、アメリカにも裏切られた形で、1971年には国連から脱退して今に至る台湾だ。
しかも、大陸の共産党と親しいのは与党よりも今や野党の国民党だ。
なにがなんだか・・・歴史の皮肉か、これは。