徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

イギリス 名誉革命(200周年記念)バッジ

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私のバッジコレクションは、まあ実際いくつあるのか自分でも数えたことはないが、安いのから高いのまで価格帯は全くバラバラだ。どんなバッジであれ、服の胸につけるというモノという機能に変わりはなく、そのため大きさは手の平に収まるくらいだ(例外はある)。
にもかかわらずこれほど大きな価格差が出るのは、まず希少性、それから歴史的な資料性に天と地ほどの差があるためだ。ここで留意しなければならないのは、どんなに稀少なアイテムでも、欲しがる人がいなければ価値はないということで、その価値を生じるのが歴史なんだろうと思う。

今日紹介するのは、「高い」部類に属するバッジだ。
(本当は、今日は6月4日、中国の1989年の六四事件(通常、中国人は「天安門事件」とは呼ばない)に因んだモノをと思ったが適当なものがないので、全然関係ないものにした。)

イギリスの名誉革命といわれても西洋史に疎い私にはピンと来ない。はじめはこのバッジの正体が全然わからなかったのだが、この美しさに一目惚れ。
調べてみると、これがイギリス名誉革命200周年記念バッジであるらしいことが判明した。

カトリック派を重用するイングランド王ジェームズ2世とプロテスタント優勢の議会は対立を深め、後継者問題を巡って議会側はオランダ統領のオラニエ公ウィレムに即位を要請。オランダ軍を率いたウィレムはイングランドに上陸、ジェームズ2世は亡命を余儀なくされる。
ウィレムは1689年ウィリアム3世として即位。議会の優位を認めた「権利の章典」に署名し、近代的な議会制民主主義を確立したと評価されている。

しかし、内戦は回避されたというものの、スコットランドカトリックの強いアイルランドでは事情は異なる。フランスに亡命したジェームズ2世は、フランス軍を率いて巻き返しに出る。アイルランド人はこれを支持、イングランド軍との戦いが勃発する。が、1690年イングランド軍の勝利により反乱は収束。・・・

このバッジ、NO SURRENDER(=降伏はしない)というスローガンは、フランス=カトリック勢力との勝利を誇っているが、実は裏面を見るとアイルランドの首都ベルファストのメーカー製なのである。
なんか複雑だなあと思うのは、名誉革命から200年たったというものの、その後のアイルランドの歴史を見ても反イングランド感情は21世紀に至るまで一切解消していないのであって、同じアイルランドでも「あっち側」と「こっち側」が明確に区分されているのである。
戦勝記念とはいえ、あくまで内戦である。敵もまた身内であることを考えるとその実情はなかなか複雑なものがある。

アイルランド問題の深刻さはさておき、バッジの出来は、すばらしい。直径約33mmの大きさはなかなか堂々としたものであり、なんといってもこの七宝ワークに職人技が光っている。騎乗の人物はウィリアム3世であろう。人物の表情といい、馬の躍動感といい、つくづく惚れ惚れする。塗り分けるか所によって不透明と半透明の七宝を使い分け、独特の効果を生んでいる。120年前の作と思うと、昔の技術の高さには感嘆するばかりである。

もうベタ褒め。