徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 文化大革命期 毛沢東バッジ ~ドキュメンタリー映画「夜明けの国」を見て~

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これまで何度も文革時代の毛沢東バッジを紹介してきたが、今日も取り上げる。

なぜというに、今日は専修大学で行われた「イメージとしての文化大革命」シンポジウムに参加してきたからだ。神田キャンパス、13:30~18:30の長丁場。100人近くは来ていただろうか。

友人からこの催しを聞いたとき、私は絶対に行こうと決めていたのだが、それは1967年に製作された岩波ドキュメンタリー映画「夜明けの国」を巡るシンポジウムだったからだ。この映画、当然私は未見である。
内心、文革万歳のプロパガンダ映画かな?と思っていたが、2時間弱の映画だったが、とてもマジメなツクリで、そこに生きる中国人の姿と彼らが作り出そうとしている新しい社会を描き出そうとしている。前代未聞の社会改革に取り組む中国人を驚きの目で見つめつつ、必ずしも文革を礼賛しているわけではない、と私は見た。

映画は1966年夏から翌年冬にかけての約半年にわたる取材の成果である。
場所は北京から黒竜江省に至る中国東北部
人民公社、工場、保育所など、主に中国の農業と工業の姿に焦点を当てている。

むろん中国側によるコントロール下に置かれた取材であったことは、言うまでもない。その条件を飲まなければ取材自体が成り立たないからだ。
だが、そのことはこの映画の価値を低下させることになはらない。文革初期の鮮明なカラー映像を見られることだけでも充分価値がある。
中国側からの規制という環境を理解しつつ、距離を置いて鑑賞すればよいのであって、それは映画作り手の問題ではなく、むしろ見る側のメディアリテラシーの問題である。
それを理由にこの手のドキュメンタリーを批判する者は、ただ、見なければよいのである。無い物ねだりに過ぎないのだから。

それとは別に、シンポジウムでおもしろかった、というか「ある意味おもしろかった」のは、実はその後に行われた討論会だ。
会場は学生とおぼしき若者も多かったが、けっこう年配の人たちも多かった。・・・
いや、彼らの語ること語ること。周囲の空気も何のその。
それが映画よりも印象に残ったのだな、実は。

青春時代、まさに文化大革命を身でもって体験し、あるいは日本でその影響を受けた世代の人たちである。映画の話を離れ、いや本論からの脱線などどこ吹く風、「私と文革」体験話の披瀝に延々と花が咲いたのもやむを得まい。許そう。

一方学生の方はといえば、悪口を言うつもりもないけど、まあお粗末そのもの。
本当に中国関係の勉強をしている学生なのか?とビックリするような発言ばかり。せめて、もう少し勉強してきてね。してないんだったら黙っててね。
とまあ本気であきれたが、まあ大学生ってこの程度のモノかな。ヒドすぎる。

この辺両極端というか、もうちょっと普通のレベルの討論にならなかったのは残念だが、参加自由のシンポジウムというモノがこういうイライラする展開になるのはやむを得ないかも知れない。
あ、あと、なんだかヘンなマニアっぽいのもいたな・・・

というわけで、私も人の批判をするのもなんだかなという感じだが、この極端な3つの人種。会場に来ていた中国人留学生には、これが平均的日本人と思ってくれないことを祈るばかりだ。
(じゃオマエはなんなのだと言われると困るが)

もっとも、正直パネリストもなんだか「?」な人もいて、映画を見て「アメリカの陰が見て取れる」などと言っていた人がいたが・・・ソ連についてなぜ言及しない? 映画が撮られてから2年後、舞台となった黒竜江省ソ連対中国の局地戦がついに火を噴くのだ。どうして黒竜江省で全国初の革命委員会が成立したと思っているのだろうか。(その史実を知らないで発言していたと言うことは、さすがにないと信じたいが・・・)
パネリストの人選はもうすこし練ってほしかった、と正直思う。日本には、現代中国史の優れた研究者はたくさんいるのである。

私も討論で発言したかったが、時間切れで残念でした。
私が言いたかったのは、メディア論やドキュメンタリー映画の方法論などではない。

ひとくちに文化大革命といっても、いろんな段階がある。
この映画が撮られた1966~1967年は、文革勃発の最初期段階にある。紅衛兵はまだ文革の中心的な存在だし、この頃は革命交流(徒歩で革命聖地を巡ったりするヤツだ)は中止されていない。革命委員会も登場していない。当然林彪さんはバリバリの現役。
そういう時代の映像と見なければならない。

マニア的観察眼を働かせれば、人々が胸につけている毛沢東バッジは直径1cm程度のシンプルな丸バッジ。紅衛兵の腕章はすでに割と太めで、金文字のモノが多かったようだ。
これからさらに1,2年下ると、毛沢東バッジは大型化と複雑化を始める。
そういったことが観察できて、その意味でも貴重な資料である。

年配者の熱い発言には、驚いた(時に閉口し時に感心した、といっておこう)が、会場には当の映画の製作スタッフも来ていて、製作裏話などはとても興味深かった。

まああれだな。
シンポジウムに限った話じゃなく、会議など全般にいえることだが、要は出席者こそが本質であるということだ。出席者の人選が終わった時点で、ほぼ内容は決まったといえる。
出席自由のシンポジウムではどうしようもないけど、そこは進行役の手腕である。無駄に流れる議論をせき止め、建設的な意見を誘導する。だから進行は難しいのである。

いや勉強になりました。
意外な部分においても(笑)。