徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 (元島津藩主)島津久光の大勲位菊花大綬章

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週末にかけて、私はちょっと鹿児島へ旅行に行ってきた。インドア派の私ながら、この数日間は実に活動的に出歩いていたのである。屋久島にも行き、縄文杉に代表される屋久島の自然を満喫してきた。
慣れぬことをしたもので、まだ足の筋肉がこわばっているようだ。う~。
とはいえ、本質的に近眼的志向者である私は、屋久島の大自然に目を奪われるより足元に歩き回る虫たちに目がいきがちだったのだが。・・・

最終日は鹿児島市内観光。鹿児島といえば、郷土のスーパースター、西郷隆盛に代表される明治維新のヒーロー達の出身地。その関係の史跡には事欠かない。
鹿児島城跡に立つ「黎明館」という歴史資料館はおもしろかった。改めて、維新当時、この地で生まれた男たちが活躍したかを再認識した。幼なじみであった西郷隆盛大久保利通を始め、みんなほとんどご近所さんたちばかりという感じである。

明治維新のヒーローとなった薩摩人は数多いが、やっぱりなんといっても西郷隆盛なのである。
私個人としては、大久保利通のほうに共感するところが多いのだが(反発を感じる部分もあるが)、西郷人気はやはりあのキャラによるところが多いのだろう。西郷人気を改めて感じたのも今回強く感じたことでもある。

さて、黎明館では、島津久光が授章した大勲位菊花大綬章が展示されてあった。とてもニセモノには見えないし、そう数がたくさんあるものでもないので、久光授章の、という説明は信憑性がある。
鮮やかな藍紅色の大綬は色あせ、紫とピンク色に変色しているが、これも時代を感じさせる。

廃藩置県に反対し、西郷ら維新の立役者達を「裏切り者」と激怒した超守旧派・久光にしてみれば、この栄典を受けることで少しはあきらめがついたであろうか。
(もっとも、久光が大勲位菊花大綬章を授章したのは明治20年、死後叙勲である)

ちょっと気になったのが、正章(リボン付きの方)の菊花型の鈕(リボンと章の中間部)に、「勲功旌章」の文字が見えるが、これは本来なら裏面につく文字のはず。明治の菊花章では表面にあったのか?

黎明館では、その他明治初期の旭日勲章などが展示されていて、バシバシ写真を撮ってきた。
はるばる鹿児島まで行っても結局やってることはそれだ。マニアの業というべきか。

・・・明日は仕事です・・・。