徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 軍鳩足環

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今週、中国の旅行から帰ってきたところだが、私は自宅と成田空港の間は京成本線をいつも利用している。
ところで、京成本線に乗るたび思い出すのが、たまたまこの路線で乗り合わせたある老人のことである。

もう何年も前のことだ。
元旦があけて、私は冬休み中滞在した中国から帰国し、京成本線で自宅へ帰る途中だった。そこへ、成田山初詣からの帰りと思われる老夫婦が、私のとなりの座席に座ってきたのである。

「首都国際機場(注:北京空港のこと)」のタグの付いた私の荷物に気がついたらしく、「中国からのお帰りですか。最近の中国はどうですか」と、男性の方が私に話しかけてきた。いかにも丁寧な話し方だった。
「年々、変わっていきます。街の様子も変化が激しいですね」と私が答えると、そうですかそうですか、と感慨深げな表情をした。
「私は戦争中、中国にいたんです」と彼は言った。

見も知らぬお年寄りに対して、この手の昔話に話を合わせるのは難しい。思想信条の問題もあるし、中には言語に絶する悲惨な体験をした人も多い。戦争未体験世代が余計な口を出すことは相手を刺激しかねない。あまり口を挟まず、静かに応対するに限るのだ。
だが、そんな私の懸念は全く無用だったようだ。彼はあくまでも丁寧で紳士的だったからである。

「とにかく腹が減って、腹が減って」彼の口から出るのは、餓えの体験話だった。勇ましい戦闘の話など、最後までなかった。
「疲れて腹が減って。どうしようもなくて、隠れて鳩のエサを食ったもんです。鳩の豆」

第2次大戦はまだまだ伝書鳩が活躍した時代である。当然日本軍でも鳩を活用した。
鳩は寿命が短く、戦場の過酷な環境、野生の猛禽類の襲撃で命を落すものも多い。だから、鳩の管理者は常に鳩の増殖と訓練を怠らないようにしなければならないのである。敵の手に渡った時の用心に暗号で専用の紙に通信文を書き、鳩の羽を傷めないように足の通信管に巻紙にして装着するのである。もちろん情報を確実に伝えるため、1羽だけ飛ばせば終わりというわけにはいかない。
そんなわけで、鳩専門の人間が部隊には不可欠だったのである。その苦労と努力を思うと気が遠くなる。

画像は、日本軍の軍鳩の足環である。今回はバッジではないけど、まあ鳩にとってはバッジみたいなものだ。識別用に他のものを体につけることが難しいからである。
「森★十四 7」という字が刻印されている。「十四」は昭和14年、アラビア数字は個体番号を意味するものか。
材質はアルミ製で、かなり薄く軽量に作られている。直径は1cm未満、幅約6mm。

京成本線で乗り合わせた老人の部隊にも、通信用の軍鳩が飼われていたのだろう。
「腹が減って、腹が減ってね」、彼の声が耳によみがえる。
私は想像したものだ。鳩舎の陰に隠れ、必死に生の豆を頬張る兵士の姿を。その言いようもなく寂しくわびしい一兵士の姿は、私の中で日中戦争の点景となっている。