徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

日本 愛知県町村長章

イメージ 1

いろんな国のバッジを見ていて感じるのは、それぞれの国には特有の様式というか、「パターン」があることである。

それはもう、さまざまなパターンがあって、私の好みに合って集中的に集めるのがあれば、全然好みに合わず収集欲をかき立てられないものもあるし、さらには全然ダメだと思いつつなぜか集め続けているものもあったりして・・・そんなこんなでヘンテコな「コレクターの宇宙」というのは形成されていくのである。

その社会に独特なパターンやそれを生み出すものを、私は「徽章文化」と呼んでいる。
「徽章文化」には、単に徽章の形状などだけではなく、ある徽章を生み出した社会において、それがどのような意味を持ち、使用され、なぜ生み出されたかということも含むのだが、話が長くなるのでこの問題はまたの機会に。

そこで、日本におけるバッジで特異的なのは、日本における徽章文化のひとつの極点ともいえるのだが、議員バッジに代表される「菊花紋章」及びそれに類似したパターンのバッジである。
ほぼ断言してよいかと思うが、例えば国会議員のバッジのような花型紋バッジなど、世界中探してもない。アレは日本が生み出した、他には存在しないパターンである。

日本では、「菊花紋章」への執着はかなり強く、最近こそクールビズなどというものも定着してきたが、このためにどんな猛暑であっても、わが議員センセイたちは上着を脱がなかった。
服がバッジを規定するのではなく、バッジが服を規定しているというのは本末転倒だが、上着なしではあの花のバッジは身に帯びることができないのである。そういうふうにできているのだ。
あのバッジが、政治における権威主義の表れだ、後進性のシンボルだなどと言われても、21世紀に至るも基本的には変化する兆しはないようである。

さて、余談が長くなったが、画像は戦前(年代不明)の「愛知県町村長章」である。全体に黒光りしているがこれは銀製の地金が露わになったからで、元々は金メッキが施され全体が金色に輝いていたことだろう。直径約21mm、手に持つとズシリと重量感がある。

中央から地方の隅々まで、天皇から発した政治権威は、菊花紋とともに行き渡ったのである。
その流れは、多少は形式的になっても、基本的には変わっていない。今も権威ある役職の人たちは好んで菊花紋付きバッジを求め、さまざまなところで作っているではないか。なぜかというと、そのバッジの背後に、目には見えない「権威」の存在を感じさせるからである。

日本の徽章文化というのは、改めて考えると、実にユニークなものである。政治的に善し悪しは、ここではもちろん別問題、なのだけど。