徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 毛沢東像落成大会記念バッジ

イメージ 1

クリスマスが近づいてくると思い出すもうひとつの誕生日・・・1893年12月26日は、中華人民共和国の父、毛沢東が生まれた日である。

中国では、特に文化大革命時代を頂点として、毛沢東の政治的権威は頂点を極め、個人崇拝の熱気が最高潮に達した。その象徴のひとつが毛沢東バッジであることは以前にも触れた。
だが、勘違いしている日本人も多いようだが、その一方で毛沢東は自分に対する個人崇拝を強くいましめてもいたのも事実である。
現に、例えば毛沢東の名を冠した地名というのは存在しない。また、自分の肉親に権力を継承させようとした形跡もない。このあたり、北朝鮮金日成などとは決定的に雰囲気が違う。

とはいえ、権力闘争でもあった文化大革命では、毛沢東は大衆の自分への個人崇拝感情を利用した。極端な個人崇拝の動きを、政敵打倒に結びつけることに成功した。こうして政治的熱気に煽られた大衆は、肖像画銅像やもちろんバッジなどのアイテムを大量に作成し、中国全土を満たした。
まあ矛盾といえばこんな矛盾もない。

さて、画像のバッジは文革期の毛沢東バッジだが、「1968年12月25日」というから、毛沢東75歳の誕生日イブの日に開催された、毛沢東像落成大会式典の記念品である。「光輝形像(輝ける像)」を「敬塑(お作り申し上げた)」という表現がいかにもだ。
それにしても、表面のデザインはまるで人民解放軍空軍が作ったバッジのように戦闘機が描かれているが意味するところはよくわからない。

もっとも毛沢東像落成記念バッジというのは、実はたまに見かけるが、建国記念日(10月1日)であったり、共産党結党記念日(7月1日)だったり、いろいろあって、誕生日に絡めたものばかりなワケではないことは付け加えておく。

文革終結後、全国で作られた毛沢東像はあるものは撤去され、あるものは今も当時のまま残されている。
この国営長春機械工場で作られた毛沢東像は、その後どうなったのだろうか。