徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

エチオピア エチオピア労働党?バッジ

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朝日新聞に連載されていたときから気になっていたのだが、「カラシニコフ」(松本仁一著、朝日新聞社)という本を偶然昨日図書館で見つけたので借りてきた。今日、なんとなしに読み始め、一気に読み終えてしまった。(続刊「カラシニコフⅡ」も刊行中。ただし未読)

本当にすごいドキュメンタリーで、世界の現実をつくづく思い知らされる。
幸いにも毎日平和に過ごしている私だが、それは私の有能さのゆえでもなく、努力で勝ち得た幸福でもなく、単に運がよかっただけという事実に暗然とする・・・

1947年式カラシニコフ自動小銃(通称AK47、多数のバリエーションが存在する)は、もっとも製造された銃器といわれ、今でも特に途上国の紛争で多用されている。
上記の本の中では、アフリカの紛争地域の問題が大きく取り上げられているが、これが現代の現実だと信じることができないほど悲惨だ。
植民地支配から、60~70年代に独立の熱気に包まれたアフリカ。しかし、その果てに待っていたのは、無秩序と暴力の支配する世界だった、と思うとやりきれない。独立闘争でも、その後の治安崩壊も、カラシニコフ自動小銃が大きく活躍した。

カラシニコフという銃ががどうしてこんなに普及したかというと、故障やトラブルを防ぐために構造が簡単で、従って安価に制作でき、また誰でも使用できるからだ。
興味深かったのは、ロシア人の開発者カラシニコフが語る設計思想だ。銃器の機関部である薬室内にゴミなどがはいると、弾詰まりの原因になる。殺すか殺されるか、一瞬のトラブルが即命取りになる戦場では致命的な欠陥だ。
そこで、機関部にゴミが入り込まないよう精密で隙間のない設計が求められていたところを、逆転の発想で部品と部品とのスペースを広くとり「遊び」を作ることにした。さらに、部品の数が極端に少なくするよう設計。ネジの一本がなくなってしまったために動かなくなる・・・などというトラブルを防ぐためだ。

このことが厳しい環境下での使用を可能にした。故障が少なく、安価で、誰でも扱える・・・ある意味理想的な武器である。だが、それゆえに、少年兵問題や、銃器の氾濫、ひいては治安崩壊や「失敗国家」の成立に力を貸してしまうことになった。

・・・と、この設計思想のくだりを読んで、私は別のことを連想していた。生物における基礎設計の話である。
現在地球で最も成功している動物グループはといえば、もちろん人間などではなく、昆虫である。種の多様性、生活環境の広汎性、将来の生存の可能性、どれをとっても、虫にかなう生物は存在しない。
そして、昆虫の基本設計は、できるだけ「小さく、簡単に」ということである。複雑であること、大型になることを避け、徹底した合理化に成功した設計だ。

もちろん、単純ならよいという話ではない。本来必要な機能を備えつつ、という絶対条件が前提だ。銃器なら破壊力や精度が必須なのはいうまでもない。その両立が技術の難しさである。


さて、前置きが長くなったが、この本を読んで、たしかカラシニコフが描かれたバッジがあったはずだよな・・・と探していたのだが、やっと見つかったので紹介しよう。

先日ハイレ・セラシエ1世のバッジを紹介したところだが、1974年皇帝廃位後のエチオピアは、メンギスツ議長のもとで社会主義化の道をたどることとなった。
なにしろ東西冷戦の厳しかった時代だ。多くの途上国がそうだったように、エチオピアソ連に接近、その援助の元で社会主義化が進められ、1984年、メンギスツを党首とするエチオピア労働者党が誕生。
このバッジはその頃のものである。
描かれているのは、共産主義のシンボル赤星と国旗、両側に民族的な帽子とそして武力の象徴として着剣したカラシニコフ自動小銃が描かれている。
おそらく、エチオピアにもソ連経由で大量の武器、それもカラシニコフ流入していたことだろう。

もっとも、そのメンギスツ政権も1991年には反政府勢力エチオピア人民革命民主戦線との戦いに敗れ、メンギスツはジンバブエに亡命した。こうして17年にわたる内戦状態は集結したが、ソマリア情勢の悪化などにより相変わらず治安は相当に悪いようである。