徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

中国 「武運長久」日本軍人へ贈呈されたバッジ

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名古屋市長の南京大虐殺否定発言が、注目されている。南京事件、まあ大虐殺でもいいけど、このことについては、2010年、すでに日中歴史共同研究で両国の研究者による報告がなされている。
ところが河村市長の発言の場合は、そうした学術的論議について云々することは全くなく、「自分の父親が南京市民から親切にされた」とかいうものすごく個人的なデキゴト南京事件否定の論拠だというのには驚いた。
これじゃあ事件否定派も肯定派も、あきれてモノも言えまい。「だってオヤジが言ってたんだもん」、だって・・・。

ところで、画像のバッジは、日本軍支配地域において、中国人による自衛組織を訓練した日本軍人に対して贈られたバッジである。こうした中国人から贈られた記念品は数多く、当ブログでもすでにいくつか紹介してきた。
8つの角を持つシェリフバッジのような形をしており、やや厚みのある銀製で手彫りのバッジである。表には「武運長久 佐々木指導官」、裏面には「行唐県 県警備隊第三中隊全員敬贈」と彫られている。また、表面には日本国旗と中国の国旗が描かれている。
この種の記念バッジには、送り先の個人名などを入れているためか、こうした手製バッジが比較的多く見られる。
行唐県は、現在では北京市の一部に編入されている河北地方の行政単位である。

北京は1937~1945年の期間日本軍の占領下にあり、この頃作られたバッジであることは違いない。占領地区の治安を維持するため、地区の青年を組織し動員することは必須であり、日本軍人が指導する集合教育(といってもほとんど促成コースだが)が行われた。この「行唐県警備隊」もそういった治安維持のための準軍事組織のひとつであろう。

そして、前にも書いたが、こうした記念品を見て、ああ日本人も現地の人間に感謝され尊敬されていたのだ、と肯定的に捉える人もいる。が、私はそれは少し素直すぎるんじゃないかと思っている。
世間には、ゴマスリという言葉もあるのだ。少しは世間の空気を知った人なら、誰しもそれを疑うだろう。
もちろん、人間のことだ、国籍や立場が違っても、近くで生活していればなにかのきっかけに親愛の情をいだくこともあろう。河村市長の父君や佐々木指導官も、地元の中国人に慕われた人格者であったのかもしれない。
でも、それが日本軍政が清廉潔癖で完璧な善政の証拠であったということにはつながらないのではないか・・・と考えるのが、まずまっとうな考え方だと思う。

このバッジが日本から出てきたということは、佐々木指導官氏は生きて日本に帰ってこられたのだろう。