徽章はバッジにしてピン

世界の徽章文化を考察するブログ。というか、バッジが大好き。コレクションを紹介したり、バッジに関する情報を考察したり。実用性皆無、実生活への寄与度ゼロ保障のブログです。

古書 「徽章と徽章業の歴史」

たまには古本を漁るというのもよいもので、ちょっと探せば驚くような本に出会うことがある。
最近そんな体験をした・・・というのが、これから語る本のことだ。
その名も「徽章と徽章業の歴史」(1966、東京都徽章工業協同組合)。非売品の業界史本である。

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それにしても、こんなに勉強になる本を読んだのは久しぶりだ。
明治初期から戦後にかけて、徽章業界の創成期の歴史や技術が、ある意味生々しく描かれていて興味深く、この週末一気に読み終えてしまった。
そもそも業界史などというものは、概して無味乾燥で関係者以外には面白くもおかしくもないものだが、なんとなく素人っぽさの感じられる文体ながら、私の知りたかった情報が満載で実に堪能した。
この業界の創成期に関わる多くの経営者、技術者など人物が多数登場し、その栄枯盛衰はちょっとしたドラマでもある。

ただまあ業界本だけに、技術的な話になると専門用語が多く、正直ちょっとお手上げという場面も少なくなかった。

たとえば、徽章類の付属部品の「カン」(輪環。メダル・勲章類を下げる環のこと)についてはこんな調子。
・・・丸カンは特にむずかしくないが、小判カンは小判型にしん金をすり出し、少々テーパーをつけた巻き棒に巻きつけ、木槌でたたき上げながら2,3個ずつしん金のままノコで切った。上物の平ツボ用のナスカンは細板を丸めてろう付けし杉箸に突っ込んだままで一個一個作った。バネ付きの引カンは戦前のメダル屋では車坂の宗像という鎖屋に買いに行った。この頃のカンは柔らかで、しかも切り口のだらしないものが多い。使うお客の身になって、改善したい一つと思う。
などと言われても、何をどう改善すべきと主張しているのやら。わかります?

また、徽章業の歴史についても知らないことだらけであった。
明治初頭に勲章が制定されたが、造幣局では貨幣の製造には成功するものの、勲章には手が出ず、平田勲章勲章工場という民間工場で作られ始めた。それも当初はプレス技術もなく、江戸時代の技術そのままに、ひたすら彫金技法によってひとつひとつ作成されていたという。
ところが、昭和4年、昭和天皇即位に伴う「御大典記念章」25万個の受発注にかかる斡旋詐欺、売勲事件などが発生したことから、勲章類の製造が官営で行われることとなった。もっとも、昭和18年から終戦に至るまでは再び成増の民間工場で下級勲章などが製造された。ここで製造された従軍記章については特に詳しく書かれてあって、メダル一個にも作成の苦心が忍ばれた。

初めて勲章製造の歴史の全体像を知ることができたのは収穫であった。
谷中霊園に勲章製造の祖ともいうべき平田春行の墓があるそうで、今度行ったらぜひお参りしてこよう。

・・・それにしても、私にとっては貴重な書であった。いつか、業界の人と「この表面仕上げは醋酸鉛イブシですね」などと知ったかぶりして話をしてみたいと思ったものだ。

この本については、また続きます。